【1】明治時代に使われた教科書。国語以外の科目は英語で行われたという。【2】明治時代、実際に使用されていた修猷館の学生帽。【3】資料館には、修猷館にまつわる古い品々が大切に展示所蔵されている。

明治になり藩校がそのまま中学になった例は多いが、名前を残した学校は少ない。近代化を急ぐ明治政府の圧力がよほど凄かったのだろう。しかし修猷は強く抵抗。敗戦後にもGHQの圧力でふたたび校名変更を迫られるが、それもなんとか切り抜けてしまう。たかが校名にすぎないが、そのこだわりが伝統への執着というものなのだろう。

そんな歴史の厚みを感じさせるものが玄関に飾られていた。額に入った右横書きの「脩猷館」という旧字体の書だ。藩校がスタートした当時に書かれたものだという。こればかりではなく、校内にはいたるところに絵画、書、骨董が展示されている。まるごとミュージアムといった趣である。ことに校舎とは別棟にある資料館には、修猷にまつわる古い品々が展示所蔵されていて、『開運!なんでも鑑定団』ならどんな値がつくのだろう、と想像してしまうような骨董品も少なくない。

その中に古びた英語の教科書があった。明治になり同校が再スタートしたときの校名は英語専修修猷館。授業内容は本格的で、国語以外は英語で行われたという。今、注目されているイマージョン教育のはしりともいえる。

しかし、この教科書以外はさして興味を引くものはない。多くの骨董的な記念品の類いを目にすればするほど、むしろ気持ちはしらけていくばかりだった。伝統とは形にはならないもの、視覚化されない精神だ。無形だからこそ、それを表現しようとすると、記念品の類いとならざるをえない。しかし伝統は形になって展示された時点で形骸化し、単なる物語となってしまう。

では現在はどうなのか。さっそく教室をみてまわることにした。廊下には色とりどりのリュックやバッグがずらりと並んでいる。案内してくれた奥山訓近館長が「試験中だから荷物を教室から出しているんです」と教えてくれた。驚いたのは学校指定の鞄がないことだ。「福高は今は黒い鞄ですね」と館長。修猷には指定鞄がない! ささいなことだが、重くダサい鞄をさげ登校した身に、その自由さは驚きだった。

真新しい講堂にもびっくりした。体育館と共有の講堂はよくあるが、ここのは専用。椅子はその半分が格納されていて、スイッチ一つでアリーナに自動的に設置される仕組みになっている。このほかにも教室棟から独立した図書館、9コースあるプールなど充実している。校内の施設建設には同窓会の手厚い援助で実現されたものも多い。同窓会のサポートは施設だけではない。たとえば出前授業。社会の一線で活躍する卒業生が講師となり、30ほどの講座が毎年ひらかれる。また一部の生徒が参加する海外研修も現地OBの手助けで実施されている。