りっぱな同窓会と施設のおかげというわけではないだろうが、昨年、同校は国立10大学(旧7帝大と一橋大、東工大、神戸大)に計194名の合格者を出した。この数は全国一だという。内訳は地元九州大学が138名と多いが、私が通った福高はこの九大の合格者数で常に修猷と競い合ってきた。

【4】2階建ての古い小屋は、「先生は立ち入り禁止」。

当時、私が想像する修猷生は「生真面目でおとなしい」というものだった。武士の教育にあたった藩校というイメージがあったのかもしれない。それをくつがえしたのは、校舎の陰にかくれるように存在する2階建てのバラック小屋だった。管理がいきとどいたきれいな校内で、粗末だが異様な存在感をみせている。最初、目にしたとき校舎の工事でも始まるのかと思った。近寄ってみると、「立ち入り禁止」と書かれた手書きの貼り紙がある。さらに違和感がかきたてられる。なんだろう?

わけをきくと、この建物は生徒会の執行部などが使用するもので、立ち入り禁止、とは主に教師や学校関係者にむかっての、生徒の側からの警告なのだという。そこには館長でさえ一歩も足を踏み入れたことがない。「考えてみればおかしいですね、先生が入ることができない場所が校内にあるなんて」と、同校卒業生である古川浩輝副館長は苦笑する。しかしその表情は不思議と誇らしげでもある。カルチャーショックを受けた私は、見学もそこそこに話を聞くことにした。

修猷にはそもそも校則も校訓も生徒手帳さえないのだという。私が福高生だったころ、校門には統制委員(生徒)が立ち、登校してくる生徒たちに襟章がない、詰め襟のカラーがないと注意していたものだが。修猷の生徒を律する文言が唯一あるとすると生徒会規約だ。その前文には「個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ち……わが修猷館には或いは不羈(ふき・何ものにもしばられないの意)独立と呼ばれ、或いは質朴剛健と唱えられた誇るべき伝統が存在する」とある。生徒会室で立ち入り禁止という貼り紙を目にした今、この文言も絵空事ではないのかもしれない、と私は思い始めた。

生徒会は選挙で選ばれる三役(総務、議長、監査)と執行部で運営されているが、執行部は希望者すべてに門戸が開かれている。ここに常時20~30人生徒たちが集まってくるという。最近はどこも生徒会活動は低調で、会長などは教師の説得で候補者を出すという学校も少なくない。学校からの独立性や生徒の自主性ということが、修猷の生徒たちにとって魅力的にうつるのだろうか。

あるとき、総会をホームルームの時間でやりたいという要望が生徒から出されたことがあった。古川副館長は「ホームルームはカリキュラムのなか。そこでやるなら先生たちは口を出すよ」といった。ただちに生徒たちはそれを拒否して、通常どおり昼休みに開くことにしたという。骨のある生徒たちである。