離脱していればキャメロン首相は失脚していた

スコットランドの独立賛成派は、一時、反対派を上回ったが、最後は英連邦に留まる結果に。(ロイター/AFLO=写真)

9月18日、英連邦(正式名称 グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国)からの独立の是非を問うスコットランドの住民投票が行われた。投票結果は独立賛成の約162万票(44.65%)に対して、同反対が約200万票(55.25%)。独立は否決された。独立王国だったスコットランドがイングランドと統合したのは、300年以上前の1707年。このとき議会など連合国家の主要機関はイングランドに置かれることになったものの、独自の司法制度や教育制度、文化などは長らく維持されてきた。

戦後、経済的自立の裏付けになりうる北海油田が開発されたり、サッチャー政権時代に国営企業の民営化政策で失業者が増大したことに対する不満などから、1980年代以降、独立の機運が高まってきた。スコットランド出身のブレア首相時代の98年には権限委譲と分権議会の設置を定めたスコットランド法が制定される。翌99年、実に300年ぶりにスコットランド議会が設置されて、外交や軍事、財政や社会保障などを除く幅広い分野で立法権が認められた。

11年のスコットランドの議会選挙では、独立運動を牽引してきたスコットランド国民党が初めて過半数の議席を獲得し、党首のアレックス・サモンドがスコットランド行政府の首相に選出された。サモンド首相は選挙公約通り、独立の是非を問う住民投票の実施について、キャメロン英首相から“一度だけなら”という合意を取り付けて、今回の住民投票に至ったのである。

もし独立派が勝って国土の3割を超えるスコットランドが英連邦から離脱することになったら、キャメロン首相は失脚していただろう。投票結果に一番胸を撫で下ろしたのはキャメロン首相だろうが、なぜ住民投票の実施を認めるような危ない橋を渡ったのか。キャメロン首相とサモンド首相が合意を交わした段階では、独立賛成派と反対派の比率は3対7ぐらい。住民投票を実施しても、独立派の勝利はないと踏んでいたのだろう。