日本経済は消費税増税の逆風を乗り切り、株価は再び上昇局面に入ったようだ。2020年の東京オリンピックを控え、各社、攻めの経営が目立つ。少子高齢社会のなかで、企業はどこへ向かうのか。新たに経営トップの座についた人物を解剖し、未来への展望を開く。
人生正念場の経験が構造改革の原動力
2018年に創立100周年を迎える。大事な時期に会社のかじ取りを任されたのが、取締役最年少の鈴木純社長だ。大学の専攻は動物学、大学院ではミミズの研究に没頭し、入社後は医薬品の研究に長く携わる、異色の経歴を持つ。
――入社時は研究者志望だった。転機となったのは。
【鈴木】2つある。1つ目は、30代前半に患った原因不明の病気。最初は糖尿病を疑われ、食事制限をしたら、80キロ近くあった体重が50キロ台まで落ちた。その後、甲状腺機能障害ということがわかり、投薬で完治するが、病名が判明するまでの不安だった日々は忘れられない。この経験は、現在のヘルスケア事業にも活かされている。
2つ目は、1994年から3年間のイギリス帝人MRC研究所勤務。そこで脳神経系のリーダーだった前任者が任期を終え、後任に指名された。だが、当時の私は脳神経系は門外漢。そこで、渡英前の1年間、大阪大学医学部で勉強させてもらった。今でも当時の上司からは「おまえにはずいぶんカネをかけたぞ」と言われる。現地では3年間研究に携わり、帰国後にその成果をまとめた論文が認められて、96年に大阪大から医学博士号を与えられた。
イギリスでは予算づくりのために膨大な書類づくりに追われたり、外国人スタッフたちとのコミュニケーションに悩まされたり、とにかく苦労が絶えなかった。なかでもいちばんつらかったのは、最終的に研究テーマが変わることになって、それまで一緒に働いていた研究者にリストラ勧告をしなければならなかったこと。イギリスでの3年間で、ビジネスパーソンとしてひと皮むけたと思っている。