ところで、言葉を魔法としてとらえた場合、そこには大きく2つの側面があるように思う。すなわち、「白魔術」としての言葉と、「黒魔術」としての言葉である。

黒魔術、白魔術とは、魔法の研究者の間で議論されている区別。黒魔術とは、自分の欲望を実現するために相手を利用したり、あるいは敵意を抱いた相手をおとしめるために使われる魔法であるという。一方、白魔術とは、愛を成就させたり、美しいものを生み出したり、公のためになるような目的のために使われる魔法を指す。

興味深いことに、白魔術と黒魔術は、目的が違うだけで、本来の手段は共通であるという議論がある。つまり、同じ方法を用いても、その目的が善きものか、悪しきものかによって、効果が変わってくるというのである。

「魔法」は、現代の科学的立場から言えば、私たちの幻想の中だけに存在するイリュージョン。その効果が、目的によって「白魔術」と「黒魔術」に分かれるということは、言葉の力を考えるうえで大変参考になる発想だと思う。

言葉には、それを受け取る側の力を奪い、不幸にする力もある。嫉みや憤りに任せて心ないことを言ったり、心を傷つけるような言葉をあえて口にするような場合、言葉は「黒魔術」となる。

一方、言葉には、相手を元気づけ、幸せにする力もある。愛や好意があふれる言葉を浴びせたり、傷ついている人を救うような言葉は「白魔術」と言うことができるだろう。

言葉は、脳が脳にかける幻想という魔法。どうせイリュージョンならば、黒魔術ではなく、白魔術として言葉を使いたいと思うのは、私だけであろうか。

言葉の持つ力をどのように使うかは、私たち一人一人次第。言葉という魔法を使う「魔術師」であるという自覚を持って、言葉の力を他人や自分を元気にする方向に使いたいものである。