専門家同士を繋ぐ人材になる

秘書になったのは86年12月。1年後、田淵さんが四大証券の会長が輪番で務めた日本証券業協会の会長になる予定で、その補佐官に選ばれた。証券取引法の大改正が見込まれていて、証券制度に通じていたことが買われた。予想通り、88年の通常国会に、証取法改正案が上程される。改正に合わせ、株式市場に週休2日制を導入した。土曜日の半日取引がなくなれば、年間の立会時間が大きく減る。株式の売買に依存する中小の証券会社が、反対した。でも、平日午後の取引開始時間を1時から12時半に繰り上げ、大半を埋め合わせることで業界をまとめた。

また、株式市場の大納会を、12月28日から30日へと変えた。それまで、御用納め後の29日から御用始め前の1月3日までを休場にしていた。だが、暦の関係で、28日が日曜日になると1月4日も日曜日で、連続8日間も取引が止まってしまう。年末でも、外為相場は乱高下する。当然、海外の株価も動く。そのとき、海外の株式市場では取引が進むが、日本では動けない。リスクが大きく、大納会を遅らせることにした。正月休みが短くなるから、反対も出る。週休2日制の導入と同時にやることで、決着させた。

子どものころから、何かを、「いい」とか「悪い」と決めつけることが、嫌いだ。物事、そんなに単純ではないはずだ。「1」か「0」というデジタル思考には、強い抵抗感がある。だから、意見が対立したときに、一方のみを採ることはない。かといって、「足して2で割る」のでもない。みんなが歩み寄れる案を考える。性に合った役割だ。無論、大局的に観たゴールは変えない。『論語』に「君子和而不同、小人同而不和」(君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず)という言葉がある。徳のある大人は、協調性はあっても無原則な妥協はしない。器量の小さい人間は、付和雷同するばかりで、真の協調性に欠ける。人間のありようを説いている。古賀流に、相通じるものがある。

火砕流のごとき不祥事は、もう一度、襲ってきた。97年春に表面化した総会屋事件だ。このときも、後始末役が巡ってきた。何か、苦労の多い仕事ばかりだったようだが、そうでもない。2つの不祥事の間に務めた事業法人一部長時代には、楽しい「営業体験」もできた。

NTTなど大企業の国内外での証券発行による資金調達が担当で、仕事がら、多彩な経営陣と会えた。そのなかで、ある人に「これからは、専門家が仕事を構成する時代になるが、専門家になれるかどうかは40歳までに決まる。ただ、専門家同士は専門用語で話すから、周囲には通じない。そこからエッセンスを抜き出して、関係部門につなぐのがゼネラリストの役割だ。それなら、キミにもできるぞ」と指摘される。40代の初め、自分の目指すべき道が確認できた気がした。

いまや、昔風のゼネラリストの時代は終わった、とされる。確かに、何でもできそうだということは、何にもできないことになりかねない。各人が、ある分野で何かできるというものを、持つべきなのだろう。ただ、専門家ばかりになってしまっては、組織力は発揮できない。

やはり「0」か「1」ではない。極端な偏りは、いつの世も危険だ。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)