看護師がつぶやいた「お引越しが近い」
食事では、もうひとつ頼みの綱がありました。Nさんという女性です。
父は近所の老人グループに入っていました。定期的に集まっては、ボウリング大会をしたり、麻雀をしたりする仲良しグループです。Nさんは麻雀会場になっている工務店の奥さん。明るく世話好きなおばさんで、父が寝たきりになってからは、煮物や餃子などを作っては見舞いに来てくれるようになりました。
父が認知症を発症した後も、Nさんが見舞いに来るとシャキッとし、ふつうに会話をしていました。そして作ってくれた料理を口にするのです。食が細くなって以降も、それは続きました。
「オレが作ったものは食べないで、Nさんの作ったものは食べるのかよ」
とムッとしたこともありましたが、食べる意欲が少しでも出るのなら、そんなことはどうでもいいことだと思い直しました。
ところが、この時期の父の衰えは早く、Nさんの作った料理も、ほんの少量口に入れるだけになります。飲むタイプの栄養補助食品もあまり飲もうとはせず、ミカンの皮をむいたものを1~2個口にする程度でした。そして認知症による異常行動もせず、眠っていることが多くなりました。
こうした父の変化を見守っていたのが訪問看護師さんです。昨年の12月24日、クリスマスイブのことでした。眠った状態の父の看護をした後、「お引越しが近いかもしれませんね」といわれました。
「お引越し?」
一瞬何のことかわかりませんでしたが、すぐに察しました。「この世からあの世への引っ越し」ということです。訪問看護師さんは仕事柄、こうした状況は何度も体験しているはずです。その時、家族の心情を慮って「死」とか「亡くなる」といった言葉は使わず、「お引越し」と表現したのでしょう。
父の衰えをつぶさに見てきた私もそれは頭にありましたが、この言葉を聞いて改めて覚悟をしました。人は口からものを食べられなくなったら終わりといわれます。看護師さんはそうした知見があり、父がそのような状況にあると感じたのでしょう。改めて食べることの重要性を感じました。
看護師さんの言葉がまるで予言だったように、その夜、父の容態が急変します。