マッカーサーがパイプを燻らせながら厚木基地に降り立ってから、1951年に任を解かれるまで、占領からサンフランシスコ講和条約の締結に至る政治的な事象が、その後、高度成長を遂げて経済大国になり、今日、難問山積の日本の姿を決定づけたことは間違いない。
本書の主人公は、コンプトン・パケナム。日本に生まれ、自在に日本語を話すパケナムは、ニューズウィーク本社の外信部長ハリー・カーンの信頼を得て、戦後すぐにニューズウィークの東京支局長として赴任。裕仁天皇の側近である松平康昌(松平春嶽のひ孫)との密な関係を核に、日本の政界に奥深く入り込んだ。トルーマン大統領時代、マッカーサーを経ずに、ハリー・カーンを通じてワシントンへ的確な情報提供を続けた謎めいた人物である。
赴任早々、マッカーサーの占領政策に対し、署名入りで正面から批判記事を書く。マッカーサーの信任厚いホイットニー准将率いる民政局が、左翼勢力を支援し経済人の追放を進めていると批判してマッカーサーを激怒させ、再入国を拒否された。その後、マッカーサーの頭越しの力が働いたのか、パケナムは日本に戻り、皇室や政界の中枢とも通じる動きをする。
タイトルにある「昭和天皇とワシントンを結んだ男」の象徴的な出来事が、日本との講和条約を進めるべく来日したジョン・フォスター・ダレスを自邸に招き夕食会をし、松平康昌によって昭和天皇のメッセージが伝えられたことである。夕食会で料理を担当したのは、天皇の料理人であったという。
ダレスと吉田茂の会談は、惨憺たる結果だった。マッカーサーに従属する吉田には講和条約を任せられないとして、ワシントンとマッカーサーの関係を見抜いたうえで、マッカーサーを切るという判断を天皇みずから下したというのが、一つの仮説である。そのために松平~パケナム~カーン~ダレス(ワシントン)とつながる非公式チャンネルをつくり上げたというのだ。
さて本書がミステリーを読むように引きずり込まれるのは、戦後の日本で果たしたパケナムの役割よりなにより、コンプトン・パケナムという謎めいた人物を浮かびあがらせているストーリーにある。爵位を持つ名家の末裔で、伯父は日露戦争の折、英国海軍から派遣された観戦武官のウィリアム・C・パケナム、ハーロースクールから王立陸軍士官学校で学びオックスフォード大学へ進んだというコンプトン・パケナムの自称した経歴が事実と反する虚証であったことを、詳細な追跡で明らかにしたのだ。パケナム家の末裔には違いないが、サイドブランチ(脇枝)までは家系図に収められていない。パケナム家の家系図には載っていないコンプトン・パケナムの生きた足跡をたどることで、パケナムの謎を解こうとする著者の執念が読む者を引き込んで離さない。