1978年、中国が改革・開放政策を始めた頃、4つの近代化というスローガンが掲げられていた。当時、中国を訪れた日本のある経済団体の視察団が鄧小平を表敬訪問した際、日本側から次のような質問が出された。
「4つの近代化というと、ちょっとわかりにくい。その目標が達成できたかどうかをもっとわかりやすく判断できる方法はないのか」
鄧小平は会見の会議室を見渡してから、こう答えた。
「今日、在席の中国側の関係者と日本の皆さんを見比べてください。私たちはほとんど60、70歳の人間だが、日本の皆さんは40代が大半だ。この年齢差が逆転したら、中国の近代化がある程度実現できたと言えるだろう」
20年後、私は日本の大手家電メーカーと提携関係を結んだ中国のある大手家電メーカーの経営会議に同席した。中国側は50代の社長1人を除けば、大半が30代、一部は40代となる。一方、日本側は逆の年齢差を見せた。鄧小平の言葉を思い起こしながら、日中間の変化を噛みしめた瞬間だった。
本書を迷わず今回の書評の対象にした理由もそこにあった。帯に書かれている通り、「日本企業『最大の不条理』のナゾを解」きたいからだ。書名はかなり過激だが、小見出しを見ていくと、著者はかなり現場を知っているようだ。
「新入社員に能力や資格は求めていない」「専門性の主張はサラリーマンとしてはマイナス」「現場と管理機構の評価基準は異なる」「上司の望む枠内に収まる能力」……。
わかりやすくいえば、日本企業における社員採用の基準が能力や専門性より、部下として一緒に働きたいか、「和を大切にするか」に焦点を絞っている。
アメリカの大学院に入って一生懸命勉強して修士号をとった若者でも、配置ポストから給料の額まで日本の普通の大学を出た年下の新入社員のそれと同じだ。だから、こうした日本企業の現実に接した留学組の落胆ぶりは想像できる。
入社後の若者は、社内で働かない50代オジサンをおだてながら仕事を進めるしかない。
旅行社に勤めている女性の友人がいる。彼女の猛烈な働きぶりを見た私は、感心しながら、内心このままいくと過労死してしまうのでは、と本気で危惧している。給料も安すぎる。
一方、その会社に巣食っている本社下りのオジサンたちの給料は決して悪くない。まさに本書の書名のように、働かないオジサンの給料はなぜ高いのかと聞きたくなる。
本書によると、新卒一括採用、終身雇用、管理職のピラミッド構造などがその現象を生み出す土壌になっている。しかし、若者のやる気と向上心がこうした環境の中で消耗されることを考えると、方向転換を図ったほうがよいと思うようになった。
私は、前述の旅行社の女性に転職を勧めている。