“同期”といった概念は私の意識にはない
林氏は都内の高校を卒業後、青山学院大学経済学部に現役で合格した。併願校はなかった。受験のとき、突然、家庭に、深刻な事情が生じた。両親はその対応で忙しく、息子の受験どころではなくなった。
当時を振り返る。
「その騒動から、家族が多少の落ち着きを取り戻したときには、受験の時期は終わりつつあった。得意な数学で受験できるのは、ごく少数だった」。
入学後は、自活をしていたという。アルバイトをして生活費を稼ぎつつ、特に経済学や経営学を集中して学んだ。子どもの頃から読みふけった歴史小説も、一段と読むようになった。人間関係処理能力やコミュニケーション力がそれらの小説からつかむことができたと話す。
就職したトーマツコンサルティングでは、同期には、旧帝国大学など入学難易度の高い国立大学を卒業した者が多かった。ライバルには見えなかったと打ち明ける。
「同期よりは、はるかに勉強をしてきたと思えた。そもそも、“同期”といった概念は私の意識にはない。彼らと酒を飲むこともしない。深く話し合うこともなかった。同期という言葉は極めて、日本的ですよね……。むしろ、30歳前後の先輩社員に追いつきたいと考えた。早いうちにすべての役員に、お酒を1対1で飲むことをお願いした。話を伺いながら、いつかは役員のレベルになれると思った。ただし、ある役員の方は抜群に優秀で、追いつくには時間がかかると感じた」
その後は、同世代の中で早いうちに頭角を現し、人事コンサルティング部門シニアマネージャーとなる。多くの企業の組織、人事、リストラクチャリングのコンサルティングに関わった。
退職後は、大手再就職支援会社の設立に参画し、代表取締役社長に就任。そして、現在の会社を新たに設立した。