恐ろしい企業小説だ。読み終えて、背筋がぞくっとする感覚があった。
とは言っても、悪徳経営者や悪辣投資家が暗躍するわけではない。ましてや、テロリストや産業スパイが登場して、会社を危機に陥らせるわけでもない。
きっと小説としてみれば、そんな派手な仕掛けにしたほうが、ずっとスリリングなものになったに違いない。著者はその手の小説でも名手だ。
しかし、この本には、そんな派手な演出は一切ない。小説という形をとってはいるが、むしろノンフィクションに近い。綿密な取材に基づいたリアリティのある記述が大きな特徴だ。
舞台は、1992年。まだパソコンも普及していなかった時代に、世界最大のフィルム会社だったソアラ社(どの会社がモデルかは、簡単にわかる)。その日本法人の社員が主人公。宣伝文句には、この主人公が次々と降りかかる難問に立ち向かうとある。
正直に言えば、そんな古い時代のサラリーマンの奮闘記を読んで面白いのかといぶかりながら読み始めた。けれども、それは大きな間違いだったことに、すぐに気付く。
この小説は、92年から2004年にかけての12年間で、超優良企業がいかに技術革新の荒波にもまれ、没落していったかの克明な記録なのだ。
14年の我々からみれば、フィルムメーカーを襲った技術革新の波が、どれほどのものだったかはよくわかる。今やプロのカメラマンですらフィルムは使わない。
しかし、90年代にこの状況を予測できるはずもなく、登場人物たちは、それぞれの立場でその波に翻弄される。
ただし、ソアラ自体は、変化の波が読めない企業では決してなかった。70年代には、10年までに起きることを予見した社内レポートが書かれている。むしろ来るべきデジタルの時代に積極的に対応しようと、数々のチャレンジを果敢に仕掛けていった企業だった。
だが、それでも失敗をした。この小説で描かれているのは、先行者は先行者利益があるが故に、イノベーションに遅れるという、著名な「イノベーションのジレンマ」と呼ばれる理論の極めて詳細な具体例だ。
そして、そのジレンマを十分に認識していながら、敗れていった者の記録だ。なぜ敗れていったのかはぜひ本書を読んでいただきたい。
もちろん、これは小説だ。すべてが事実ではないだろう。しかし、かなり真実に近い記録だ。
そして、これは評者の最近の問題意識に極めて近いのだが、本書の最後で著者は、これは単に運が悪かった企業の話ではなく、すべての大企業に起きることではないかと、主人公に語らせている。
だから、恐ろしい小説なのである。恐ろしいが、特に大企業で働く経営者やサラリーマン諸氏には必読の小説だ。