「受け入れか、排斥か」の二択ではない
パスポートは一日で変えられても、帰属意識は行政手続きだけでは形成できない。
「帰化することは必ずしも日本人になることを意味しない」という言い方が問題提起として必要なのは、この区別があるからだ。正確には、帰化すれば法的には日本人になる。だが、日本語、日本の歴史、法秩序、男女平等、信教の自由、政教分離、公共への義務を自らのものとして引き受ける実質的な統合は、別の課題である。そこを問うことまで「差別」と封じれば、国籍取得は共同体への参加契約ではなく、権利だけを取得する手続きへと変質する。
多文化共生という言葉にも限界がある。食文化や祭礼、家庭内の言語が多様であることと、法秩序や国家への忠誠が複数化することは同じではない。民主国家は生活文化の多様性を尊重できる。しかし、法の上位性、国民としての義務、政治共同体への忠誠まで多様化すれば、一つの国家として存続できない。
日本はまだスウェーデンと同じ地点にはいない。だからこそ今なら選べる。必要なのは「受け入れるか、排斥するか」という幼稚な二択ではない。国家が統合できる人数、分野、地域、出身国の集中度を管理し、受け入れの条件と上限を先に決めることである。
消費税率や補助金は戻せる、しかし…
第一に、政府は在留外国人の総数だけでなく、国籍、在留資格、地域別集中、世代別人口、生活保護、就学、犯罪、帰化後の動向を継続的に公表すべきだ。現実を測れない国に政策はつくれない。
第二に、就労目的の受け入れを恒久移住への自動ルートにしてはならない。期限、更新要件、扶養家族、社会保険、違法行為への対応を明確化する必要がある。
第三に、永住・帰化には十分な日本語能力、安定した自活、法令順守、日本の歴史と統治制度への理解を求めるべきだ。虚偽申請や重大な詐欺による取得には厳格な取消制度が必要である。
第四に、地方参政権を国籍と切り離してはならない。自治体は教育、福祉、土地利用、治安という国家の基礎を担うからだ。
移民政策の失敗は、消費税率や補助金の失敗とは違う。税率は政権交代で戻せる。人口構成と有権者構成は、いったん変われば元に戻らない。そして新しい有権者が、自らの利益と存在を守るために投票することを責めることもできない。責任を負うべきなのは、結果を予見しながら入口を管理しなかった政治である。
多文化共生が不可能になる日とは、単純に外国人が一定数を超えた日ではない。共通の規範を求めることを国家が放棄し、政策の失敗を修正しようとする国民の意思が、すでに形成された人口構成によって実現できなくなる日である。スウェーデンの選挙は、その日が突然来るのではなく、善意と沈黙と先送りの積み重ねの先に現れることを教えている。日本に残された時間は、私たちが思うほど長くない。
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