「特需」が一転、価格暴落の大ピンチに
同社の前身は、東大阪市でプラスチック加工・成形の下請けとしてスタートした大山ブロー工業所である。創業者はアイリスオーヤマの大山健太郎会長の父親、現在の大山晃弘社長の祖父にあたる大山森佑氏だった。
大山会長が父親の後を継いで社長になったのは1964年のことで、19歳のときである。1966年にはプラスチック製の養殖用ブイを発売して、飛躍の糸口を見つける。網やロープなどを水面に浮かせて位置を保持するための「浮き(フロート)」が養殖用ブイで、それまではガラス製が主流だったが壊れやすく重いのが弱点だった。それをプラスチック製にすることで弱点を克服して、三重県の真珠養殖業者を中心に受け入れられて大成功する。
ただ、そのまま順風満帆とはいかない。転機は、1973年のオイルショックだった。直後は石油製品の需要が急増し、同社も設備を増強して生産を拡大した。ところが、仮需要が一巡すると商品は一気に売れなくなる。各社の在庫が積み上がり、価格も暴落した。同社は10年間で築いた資産を2年で失い、1978年には大阪の本社工場を閉鎖するまで追い込まれた。
この危機を機に、大山会長は産業向け製品への依存を見直した。不況でも需要が見込める生活者向け商品へ軸足を移し、その柱に選んだのがプラスチック鉢などの園芸用品だった。同社はここから商品を次々と増やし、生活用品メーカーへ転じていく。ひとつの製品にこだわらず、新しい市場へ目を向ける姿勢が成長のカギとなった。
その姿勢は、現在も変わらない。1989年には本社を東大阪市から宮城県仙台市に移し、1991年9月には社名を現在のアイリスオーヤマに変更している。
家電開発を担った10人に専門家はゼロ
プラスチック製の日用品で成長してきたアイリスオーヤマが家電に進出したのは、2005年ぐらいからで、2009年5月から本格参入した。家庭向けの商品としては、ケトルや炊飯器などを展開していった。進出のきっかけを、執行役員 商品開発本部 本部長の原英克氏が次のように説明した。
「当社の主な取引先はホームセンターですが、大手家電メーカーから潤沢に商品を仕入れられない悩みがあって、そこで『値ごろ感のある家電をアイリスオーヤマでつくってくれたら一緒にやれますよ』という話があり、それがきっかけだったようです」
とはいえ、当時のアイリスオーヤマに家電開発の専門部隊がいたわけではない。「開発は商品開発部が一括して担っていましたが、家電の専門家がいるわけではなく、50人くらいいた開発部員のうち10人くらいが、日用品を開発しながら家電もやるという体制でした」と、原氏。

