米ドル買い人民元売りの為替介入

世界金融危機によって世界経済が同時に縮小する局面に至り、世界金融危機の影響を直接に受けたG7(サブプライム・ローン証券化商品に積極的に資金運用を行っていなかった日本を除く)諸国は、BRICsの新興市場国を招いて、08年12月にG20を開催した。そのG20において、世界同時不況に対して景気回復を目的とした財政刺激政策の国際協調に合意した。この合意を受けて、各国は大規模な財政出動を行った。同時に、世界金融危機の直接的な影響を受けて、バランスシートを毀損した金融機関へ資本注入を行うことによって、各国の財政赤字がさらに増大した。

このような全般的な財政悪化の状況に加えて、09年10月におけるギリシャの政権交代によって、旧政権による財政赤字に関する統計の改竄が暴露され、財政赤字の規模が大きく上方に修正された。財政統計の改竄は、財政当局に対する信認をも失墜させ、財政危機に至った。ギリシャで財政危機が発生すると、一般政府債務残高や財政赤字が大きいポルトガル等の他のユーロ圏諸国にも財政危機が飛び火した。このようにしてユーロ圏の財政危機が深刻化したために、欧州連合(EU)と欧州中央銀行(ECB)と国際通貨基金(IMF)とのトロイカ体制がギリシャに引き続いて、アイルランドやポルトガルに対しても金融支援を行うこととなったものの、金融機関に対するセーフティネットとしての欧州安定メカニズム(ESM)の設立に12年まで時間を要したこともあって、ユーロ圏の財政危機が深刻化し、さらには金融危機に発展しかねない状況になった。

このように、00年代より「失われた10年+α」を経験してきた日本に加えて、世界金融危機の震源地であるアメリカ、そして、世界金融危機の直接的影響を受け、さらには一部の国々で財政危機に陥ったユーロ圏において、それぞれの中央銀行である日本銀行と連邦準備制度理事会(FRB)とECBは、同時に、超低金利水準に政策金利を引き下げながら、量的緩和の金融政策を実施することとなった。この大量に供給された資金は、世界金融危機およびユーロ圏の財政危機によってこれらの国内経済において景気後退と低迷のなか、国内投資の期待収益率が低下してしまったこれらの国々の内に留まらなかった。金融のグローバル化のなか、これらの国々よりも高い期待収益率を望めると思われたBRICsなどの新興市場国へと資金は移動していった。日米欧で量的緩和を強めれば強めるほど、その傾向が高まり、新興市場国への資金流入が増大した。

さらに、一部のBRICsにおいて、とりわけ中国においては、05年7月に通貨バスケットを参照とした管理フロート為替相場制度に移行すると政府が発表したものの、世界金融危機が発生すると、米ドルに対して人民元を固定させる通貨政策を採用した。すなわち、人民元の価値がファンダメンタルで見てもっと高いにもかかわらず、通貨当局が外国為替市場に介入することによって、人民元を米ドルに対して低く抑制していた。このような米ドル買い人民元売りの為替介入によって、中国国内に一層の人民元が供給されることとなり、過剰流動性を引き起こすこととなった。

新興市場国あるいは発展途上国が、自国通貨建てで海外から資金を調達することは、海外の投資家が当該国通貨のダウンサイド・リスクを警戒して、極めて難しい状況にある。そのため、これらの国々は、米ドル等の国際通貨建てで海外から資金を借り入れなければならない状況にある。新興市場国においては、対外債務の通貨構成において米ドル建て等の国際通貨建てが多くなる原因にはこのようなことがある。そのため、新興市場国の政府は、対外債務の実質負担が安定して、大きくならないようにするために、自国通貨を米ドルに固定させようという傾向が多く見られる。このような状況は、「変動為替相場の恐怖(fear of floating)」と呼ばれる。一方、中国のように、人民元を過小評価させて、経常収支黒字を生み出し、将来の通貨暴落の通貨危機に備えて外貨準備を蓄積しておこうという意図で、自国通貨を変動させること、特に増価させることを嫌う新興市場国もある。