社会活動家の木下尚江と恋に落ちる
木下は和と出会った後に、松本の教会で洗礼を受けていた。また、社会運動への傾倒もますます強くなっている。明治29年(1896)には『信濃日報』の主筆となり、普通選挙実現のために活動していた。しかし、目立ち過ぎたのが災いしたようである。
県議選挙の疑獄事件に巻き込まれ、恐喝詐欺の疑いで逮捕される。禁錮8カ月、罰金10円の判決を受けたのだが、これを不服として控訴。再審が東京でおこなわれることになった。
裁判を受けるために木下は東京へ移送されて鍛冶橋監獄に収監される。和が群馬や埼玉の隔離所で赤痢患者の看護に奔走していた頃だったが、木下が東京の監獄にいるという話を聞きつけるとすぐ面会に駆けつけた。その後も菓子や書物などの差入れを手にして頻繁に監獄を訪れるようになる。
収監された木下の元へ通う日々
“ただの知人”でしかないのだが、情に厚い和が知人の苦境を知らぬ顔で無視できるわけがない。それが、やがて恋愛感情に発展してゆくのだが、
「女史は木下氏の災難のことをきくや、大いに義憤を起し、またその熱情から止まり得ぬものがあって、度々鍛冶橋の未決監を訪うては思いやり深い差入れ物をする。獄中の氏の感激はやがて思慕の情となり、女史もまた持ちまえの熱烈な同情が昂じて、遂に両者の激しい恋愛、そして出獄の上は結婚という絶頂にまで達した」
と、木下の親友である相馬愛蔵(新宿中村屋の創業者)とその妻・黒光の著書『穂高高原』にも、ふたりの関係が恋愛へと発展していった経緯にふれた記述がある。

