社会活動家の木下尚江と恋に落ちる

木下は和と出会った後に、松本の教会で洗礼を受けていた。また、社会運動への傾倒もますます強くなっている。明治29年(1896)には『信濃日報』の主筆となり、普通選挙実現のために活動していた。しかし、目立ち過ぎたのが災いしたようである。

県議選挙の疑獄事件に巻き込まれ、恐喝詐欺の疑いで逮捕される。禁錮きんこ8カ月、罰金10円の判決を受けたのだが、これを不服として控訴。再審が東京でおこなわれることになった。

木下尚江
木下尚江(1869~1937年)の肖像写真(写真=国立国会図書館デジタルコレクション/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

裁判を受けるために木下は東京へ移送されて鍛冶橋かじばし監獄に収監される。和が群馬や埼玉の隔離所で赤痢患者の看護に奔走していた頃だったが、木下が東京の監獄にいるという話を聞きつけるとすぐ面会に駆けつけた。その後も菓子や書物などの差入れを手にして頻繁に監獄を訪れるようになる。