100万回超表示された「麻生家は藤原氏」論

麻生氏への極端な批判は、ほんの少し前までほとんど見られなかったが、いったい何が転換点となったのだろうか。

筆者の見立てでは、おそらく今年6月10日に発売された『文藝春秋』7月号である。具体的には、同誌に掲載された野田佳彦元首相、政治学者の御厨貴氏、作家の林真理子氏による座談会「拙速改正で日本を分断するな」だ。

「三笠宮寛仁親王妃家に養子が取られたら、麻生さんが天皇の外戚になり、平安時代の藤原氏のようになる。政治的権力者と天皇の権威との距離がぐっと近くなって、皇族の政治的中立性が揺らぐ可能性もある」(御厨氏)

藤原道長
藤原道長(写真=読売新聞社『日本国宝展』/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

『文芸春秋』公式X(旧Twitter)アカウントが、上の抜粋とともにWeb版記事をシェアしたところ、そのインプレッション数は100万回以上にも達した。

反響の大きさからして、この鼎談企画こそが麻生氏批判の急変をもたらした可能性が高い。

麻生家の血を引かない養子で、なぜ「外戚」なのか

しかし、正直なところ筆者には、まともに取り合う価値がある言説だとは思えない。

それというのも、改正皇室典範に規定される「養子皇族男子」はそもそも麻生家の血を引かないため、たとえ三笠宮家に養子入りされるとしても、麻生家の影響力は極めて限定的となるはずだからだ。

道長の頃にあれほどの栄華を誇った、実際の「平安時代の藤原氏」はどうだったか。後三条天皇――約170年ぶりに藤原氏を外祖父に持たなかった――の御代を契機として、摂関政治は緩やかに衰退へと向かった。

後三条天皇は両親がどちらも道長の孫であるため、藤原氏の血を色濃く引いていたのだが、それでも摂関は権力をそのまま保ちはしなかったのである。それなのに、麻生家の血が一滴たりとも流れていない養子の系統から天皇が立ったとして、どうして麻生家が権勢を振るうことができようか。

また、麻生家がもしも養子に影響力を及ぼせるとしても、その系統が即位するのは最速でも悠仁親王殿下の次代のはずだから、今から50年は先の出来事であろう。仮に三笠宮家が麻生家の血を引く男系男子で続いていた場合であっても、麻生家へのミウチ意識はかなり薄れる頃合いである。

ましてや、その頃には麻生家の側も世代交代を重ねているから、麻生太郎氏が首相経験者として有している政治的影響力をそのまま引き継げはしまい。

外戚云々と騒いでいる人々は、「麻生元首相が150歳になっても権勢を保っている」ことを大真面目に恐れているのだろうか。本来の意味での外戚である、皇后の生家が権勢を振るう可能性について心配するほうがよほど現実的だ。