そこには、複雑な要因が絡まり合うのだろう。3つの側面で意識の差があるように思えた(石井ほか「小売商業における家業継承概念の再検討」)。職業意識、共同体意識、そして財産意識であるが、ここでは紙数の都合で前二者だけに触れよう。第一に、日本以上に、職業意識、とりわけ士農工商の序列意識が強いのかもしれない。印象的だったのは、韓国の卸売りセンターのリーダーが、「子供たちにはこの商売を継がせることはないし、子供たちに自分が商売をしている姿を見せたくはない」と言われたことである。それほど極端ではなくても、子供たちにはできれば、ほかの職業、たとえば公務員や弁護士など自由業に就いてほしいと考えている商人がほとんどであった。家業の親子承継意識は総じてかなり低かった。
第二の共同体意識でも違う。東アジアの商人たちは、みずからのその地での商売に再投資の意欲は乏しい。一つには、子供への事業承継意識が乏しいことの裏返しでもある。店が自分一代限りであって後10年かそこいらで終わると考えるなら、その店にも、またその店を成り立たせてくれているまちにも、再投資する意欲が生まれないのは自然の理だ。
加えて、共同体意識が薄いもう一つの理由として、彼らの強い上昇志向がある。そのまちで成功すれば、その資金をもって、より格の高いまちに出ていこうという志向である。まちは、家族の骨を埋めるところではなく、より多くのお金や名誉を得るための「手段」として位置づけられる。
そうした意識があると、そのまちで100年、200年続く老舗は生まれないし、また、共同してまちづくりに励むことも少ない。これら2つの理由が重なり合って、みずからの地域に再投資意欲は乏しい。
結果として、商店街組合がない。歳末大売り出しといった商店街活動も乏しい。地縁はあっても、それは活かされない。また、それを促す国の施策も不在。そもそも、国に対してそうした支援要請が少ないのかもしれない。日本では、すでに戦前から、商店街育成施策が打たれてきたことと対照的だ。
小商店が夫婦で経営されている点は、東アジア諸国で共通する。だが、その中身は重要な点で異なる。商店の親子継承、近隣で営まれる兼業商売、そしてまち・地縁への再投資を試みる日本の小商店。そしてそれを是とする日本の商人家族。その精神は、世界でもかなり独特のものなのかもしれない。