時事通信フォト=写真

結いの党代表 江田憲司(えだ・けんじ)
1956年、岡山県生まれ。東京大学法学部卒業後、通商産業省(現・経済産業省)入省。ハーバード大学留学などを経て、96年、総理大臣秘書官に就任。2002年、衆議院議員初当選。09年、「みんなの党」幹事長。13年12月より現職。


 

「総理官邸の森蘭丸」。橋本政権で総理秘書官を務めていた頃のあだ名だ。39歳で通産官僚から総理秘書官へ抜擢。行財政改革に邁進していた橋本元総理の片腕として、役人ばかりか、大物族議員相手に、不遜な態度を取ることで有名だった。既得権益にしがみつく魑魅魍魎の世界。改革を進めるにはある程度の摩擦は仕方がないが、「虎の威を借る狐」と悪評だった。今では本人も「若気の至り」と反省する。

橋本政権崩壊とともに通産省を退職し、充電期間を経て政界へ。2002年、無所属で初当選。企業団体献金も受けない、資金集めパーティーもしない。だから安定した支援もない。テレビコメンテーターとして活躍するが、落選も経験した。「既得権益の打破」「脱官僚政治」が基本理念。しがらみを嫌い、組織に馴染まず、無所属を続けたが、09年、似た者同士の渡辺喜美氏と「みんなの党」を結成した。

ところが民主党政権崩壊以降、渡辺氏との路線対立が浮き彫りとなる。野党の結集を目指す江田氏に対し、渡辺氏は「政党ブロック構想」と称して自民党との連立に舵を切った。13年8月には他の野党との連携を模索した江田氏を幹事長職から解任。両氏の亀裂は決定的となる。渡辺氏は安倍総理と食事までして急接近。特定秘密保護法にも賛成の方針を決めた。国民的な批判も大きい法律だけに、妥協した渡辺氏への反発が一気に強まる。江田氏は13人を引き連れ離党を決意した。

一匹狼が初めて群れを率いた格好だ。「蘭丸」時代の不遜な態度は許されない。離党したある議員は「気をつけているようだが、人の話を聞かないときがある。油断すると14人はバラバラだ」と心配する。そうなれば喜ぶのは自民党だけ。再編に向け「まとめる力」が問われている。

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