「荒波」の中の登板 「本命」の新社長
入社3年目に結婚。ほどなく、役員に「ロンドンにでも行くか」と言われた。ちょっと前からシチーと米ウォール街に債券部員を駐在させ、日本の裏時間帯に売買させていた。新婚旅行で外国に行けなかったためか、妻に異論なし。82年2月に赴任する。その着任した日のことは、忘れない。住環境を整える時間ももらえず、その日から、死ぬかと思うほど働かされた。時差もあるのに、日本の上司たちは容赦もない。人生最初の「サプライズ」だった。
でも、87年初めに帰国するまでの5年間が、市場の変化を肌で感じ取らせ、証券会社の新しい姿に思いを巡らさせる。もう、株式や債券など個々の商品を単独で運用し、管理する時代は終わる。現物と先物、スワップなど、すべての取引をトータルに考えなくてはいけないし、リスク管理が肝要となる。組織も、そういうふうに変えなくてはならない。そんな思いを抱いて、帰国する。
96年2月、人生2度目の「サプライズ」が起きる。花形ポストである株式課長を任命された。40歳まで、想像したこともない。株式課の面々は、上場銘柄に付いているコードナンバーを、すべて暗記しているらしい。でも、自分は、わずか2つか3つしか知らない。そんな身で入っていけば、よそ者扱いだろう。でも、上司は何も言わずに辞令を出した。「今度は、新しい株式部をつくれ」ということだったのだろう。
慣れるまで、ひと月かかった。朝はすごく早いし、仕事はヘビー。周囲は異質な集団で、初めての週末は暗澹たる気持で迎えた。でも、おくびにも出さない。「静以幽」だ。そして、だんだん「収益を出したい」という気持ちが強まっていく。それこそが、株式のチーフディーラーに日々、求められる役割だ。
もちろん、収益確保には、リスク管理の浸透が欠かせない。それまでのように個別銘柄ごとに売買するだけでなく、日経平均の採用銘柄や自前で組み合わせた銘柄をまとめて買う「バスケット売買」を進め、売り買いのバランスをとる。
2011年4月、社長に就任。これが5つ目の「サプライズ」だという。3つ目と4つ目は次回に登場するが、社内外は「サプライズ」とは受け止めない。持ち株会社の設立、子会社役員への就任、三井住友銀行との投資銀行業務の合弁解消の後始末など、この10年余り、常に会社の大波動の中核にいた。周囲からみれば、「本命」の登場だ。
課題は多い。社長内定が発表された2月、メディアに「赤字下で荒波の船出」と書かれた。東日本大震災が起きて、「荒波」どころか「嵐の中の船出」ともされた。でも、「静以幽」で表には出さないが、一軍を率いる覚悟はある。
発注ミスを処理したころも、株取引の文化を変えたころも、心がけてきたことがある。「自分と反対のポジションを持っている人の気持ちを考える」ということだ。
市場の動きを刻々と示すディスプレーをみつめて、画面の向こうで多くの人が抱いているそれぞれの思いに、気持ちを向ける。相場だから、必ず値段がつき、損得が出る。反対の立場の人はそれなりに考え抜いてやっているわけで、その思考過程や選択、結果への思いと次の行動、それらに考えを至らせることで、次に自分がとるべき道もみえてくる。後輩たちにも、そう教えている。