命を奪われた「もう一人の日本人」
最後に、もう一人の日本人義勇兵・ローニンの話をしておきたい。
2024年3月下旬、ローニンと僕はモスクワのホテルに滞在しながら次の部隊を探していた。その後、僕はアフマットに入隊したわけだが、ローニンもまた別の部隊に所属することができた。彼はピャトナシュカ旅団で仲良くなったコロンビア人らスペイン語圏の仲間とともに、モスクワの南東約500kmに位置する都市・タンボフの国防省の某部隊に入隊した。
「ローニンが迫撃砲を受けて死んだ……」
仲間を通じて、こんなメッセージを受け取ったのは2025年6月5日のことだ。この戦争であらゆる仲間の死に直面し、人を失う悲しさや虚しさに慣れたつもりだったが、ローニンの死は僕に大きな虚無感を与えた。
何とか遺体だけでもローニンを日本に帰国させてやりたいと思い、自分のコネクションをフルに使った。まずは、ローニンに関する情報を収集した。複数の関係者をあたると、入隊先は国防省で間違いなさそうだった。民兵組織だと戦地にそのまま遺体を埋めてしまうが、国防省であれば、遺体を回収し遺族に引き渡してくれる。
だが、ローニンは身元引受人などを空欄のまま登録していた。引受人不在として遺体が処理されてしまう可能性が捨てきれない。そこで僕は、すぐさま日本領事館との折衝を行った。日本領事館の担当者にローニンの個人情報を伝え、日本政府が親族とコンタクトを取るよう計らった。
「遺族に見舞金を支払う用意がある」
親族の誰かがロシアまで遺体の搬送手続きに出向かなければ、ローニンは日本に帰国できない。この段階で、亡骸はローニンが亡くなったドネツクからロストフに運ばれる手筈が整えられていた。
「あとは親族の立ち会いがあれば遺体は日本へ戻される可能性が高い」と、国防省の関係者からは聞いていた。
訃報に接した6月5日に動き始めて、翌々日には大きな展開があった。
「ドネツクからロストフを経由してローニンはモスクワに運ばれた。6月7日に親族と連絡がついて、父親がモスクワに来るそうだ」
こう聞いて安心したのを今も覚えている。関係が悪化しているとはいえ、ロシアは日本に配慮したのだろう。「遺族に見舞金を支払う用意がある」ことも、国防省関係者は教えてくれた。
僕がローニンと最後に連絡を取ったのは2025年5月28日。メッセンジャーで彼から「僕の部隊はドネツク方面です」との連絡を受けた。
「これから出撃です」
突撃作戦に向かう彼に、必要な事前準備や戦闘で不利な状況に陥った場合の対処法などを僕は伝授した。ローニンは任務について、「100人規模の大きなミッションです。基地で1週間にわたって作戦のブリーフィングやドローン映像も確認したうえで出撃します」と語っていた。
この戦闘がローニンにとって初めての戦地だったと知ったのは、彼の同僚の英国人義勇兵が人を介して教えてくれたからだ。
「5人1組のチームで、亡くなったのは彼だけでした」

