極右政党の国会帰還で生じた異変
2009年2月10日に行われた総選挙では、カディマが28議席で第一党になったものの、27議席を得て第二党となったリクードが、我が家(15議席)、労働党(13議席)、シャス(11議席)、ユダヤ・トーラー連合(5議席)、ユダヤの家(3議席)との連立に成功し、過半数を制して政権を獲得。ネタニヤフが首相に就任。2021年6月まで長期政権を維持しました。
また、この選挙では、極右連合の国家統一党が4議席を獲得し、エルダドやベン=アリが初当選を果たし、カハネ主義者が約20年ぶりに国会の議席を得たという点が重要です。彼らの当選により、「カハネ主義の主張を国会で行うことは、もはやタブーではない」という空気が醸成され、イスラエル政界が大きく変化することになったからです。
実際、カハネ主義の国家統一党は、アラブ系市民を標的に、「国家(ユダヤ国家としてのイスラエル)への忠誠を誓わない市民からは、市民権を剥奪する」という趣旨の「忠誠心法案」や、イスラエル国防軍の活動を批判したり、国際裁判所に訴えようとしたりする人権団体への外国資金を厳しく制限する「NGO規制法案」を提出しただけでなく、「アフリカからの不法入国者には射殺を含む武力行使を許可すべきだ」などと排外主義的な主張を繰り返し、世論を煽っていました。
このため、ベン=アリの議会演説の際には、かつてのメイル・カハネ同様、他党が一斉に議場から退場してボイコットする事態になっています。
イスラエルが「右傾化」するきっかけ
退席した議員の中には、一般に「極右政党」に分類されている「我が家」の議員も含まれていましたから、ベン=アリがイスラエル政界でいかに危険視されていたか、おわかりいただけるかと思います。
これに対して、2009年に首相に復帰したネタニヤフは、エルダドやベン=アリのことを、「厄介だが便利な政治のコマ」として使いこなそうと考えていたようです。
すなわち、2009年の第二期政権がスタートした時点でのネタニヤフは、ほぼ同時期に発足した米国のオバマ政権との摩擦を避けるために、当初は労働党などの中道・左派も含む広範な連立を組み、エルダドやベン=アリの国家統一党の議員は入閣させませんでした。そのうえで、国際社会に対しては、「自分は右派だが、彼ら(エルダドやベン=アリ)のような本当の極右に比べれば穏健である」と主張するための比較対象、いわば当て馬として彼らを利用しました。
しかし、「本当の極右」を完全には否定しなかったので、リクードの支持層が彼らに流れるおそれがありました。そこでネタニヤフは、徐々に右派的なレトリックを強めていかざるを得なくなります。そして、このことが、のちのイスラエル政治全体の「右傾化」を加速させる要因となっていくのです。



