※本稿は、内藤陽介『世界の右翼』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。
イスラエルで生まれた極右政党
イスラエル撤退後のガザではPLO主流派のファタハとハマスの間で流血を伴う衝突が頻発するようになり、2007年6月11日以降、ハマスがガザ地区を占拠して、両者の対立は事実上の内戦へと発展します。
同14日、もはやハマスとの関係修復は不可能と判断したアッバースは非常事態宣言を発令。ハニーヤを解任し、ハマスによるガザの統治は非合法なものであるとして、6月17日、元世界銀行副総裁で自治政府での蔵相経験のあるサラーム・ファイヤードを首相に任命し、ハマスを除外した非常事態政府の樹立を宣言します。
これに対して、ハニーヤは解任を拒否し、ハニーヤ内閣こそパレスチナの正当政府であると主張して居座ったため、「パレスチナ」はPLO/ファタハの支配する西岸地区と、ハマス支配下のガザ地区に、事実上、分裂しました。
こうした状況の中で、2007年11月、2003年に国家統一党所属でクネセトに初当選し、その後同党を離党していたアリエ・エルダドは、世俗派政党の「我が家」が「住民・土地交換論」を提案して勢力を伸長したことに対抗して、新たな世俗派の極右政党「ハティクヴァ(Hatikvah。希望)」を結成します。
イスラエルがテロ組織と認定しているハマスがガザ地区を実効支配下に置き、オスロ合意のパートナーであり、国際的に認められた「パレスチナ自治政府」の主体であるPLO/ファタハの統制がガザ地区に及ばなくなったことに対して、イスラエル国内では「ガザ撤退は失敗だった」という世論が急速に拡大。ハティクヴァは、こうした世論の変化を背景に、2010年11月に予定されていた総選挙を見据えて、大イスラエル主義を掲げる極右勢力が大同団結するための受け皿となることを目指していました。
狙いすまされたガザ侵攻のタイミング
一方、ガザ地区の実効支配者となったハマスは、2008年6月19日、エジプトの仲介でイスラエルは6カ月間の停戦協定を結びましたが、その後も断続的な衝突が続いたため、イスラエルはガザ地区を封鎖していました。
さらに、停戦期間中の11月4日、イスラエルはハマスのテロ攻撃を停止させるため、ガザ地区中部に侵攻。これに対してハマスが応戦したことから、この時点で停戦の延長は絶望視されていました。
はたして、12月に入って停戦期限が迫ると、エジプトが停戦延長の仲介に乗り出したものの、ハマス側はイスラエルがガザの封鎖解除に応じないことを問題視し、延長を拒否したため12月19日に協定は失効します。
翌2009年2月にはイスラエルで総選挙が予定されていたため、この時点で、対パレスチナ強硬派の野党・リクードが支持を拡大し、与党・カディマも弱腰な姿勢を見せることはできない状況にありました。さらに、選挙直前の2009年1月20日に米国で「敵との対話」を掲げるバラク・オバマ政権が発足すれば、米国はイスラエルに対して大幅な譲歩を迫り圧力をかけてくる可能性が高いとみられていました。
そこで、停戦協定の失効後、オバマ政権発足までのタイミングをはかって、2008年12月27日、イスラエルはガザ地区全域に大規模な空爆を開始。2009年1月3日には大規模な砲撃の後、歩兵、戦車、砲撃隊などの隊列が侵攻を開始して地上戦が展開されました。そして、戦闘開始から3週間たった1月17日、イスラエルは一方的に「停戦宣言」を発して部隊の撤収を開始。これを受けて、ハマスも戦闘を停止します。

