書かない時代に生まれる新たな責任
AIが生成した文章をノーチェックで世に出すのは、部下が提出してきた書類を読みもせずにハンコを押す無責任な上司と同じだ。万が一トラブルが起きたとき、最終的な責任者はそれを承認したあなたであり、「AIが書きました」という言い訳は通用しない。
この判断を行うのに不可欠なのが自分自身の意見や思いだ。
「自分はこの企画で何を伝えたいのか」
「このメールで相手とどのような関係を築きたいのか」
そうした確固たる自分自身の軸(判断基準)がなければ、AIが生成してきた文章が適切なのかそうでないのか、そもそもジャッジすることができない。
もし、あなたの中に核となる思いがなく、ただAIが出してきたものを右から左へと流すだけなら、そのコンテンツは一体誰のものだろうか? それはあなたの言葉ではなく、かといってAIに人格があるわけでもない。結局、「誰のものでもない無責任なコンテンツ」になり果ててしまう。
自分の名前で仕事をする以上、そこには自分の思いや魂が入っていなければならない。
AI時代においては、「AIがつくった原石に魂を吹き込み、責任を持つこと」こそが、人間の役割となるのだ。
文章の違和感に気づく力
この見極めに必要な能力こそ、私が「ディープ・リーディング(深読)」と呼ぶ高度な読解力である。これは、情報をざっと目で追って概要をつかむ流し読み(Skimming)とは対極に位置する行為だ。熟練の校閲者のような鋭い視点でテキストの奥底まで潜り込み、解像度高く読み解くことを指している。
・文章は一見滑らかに書かれているが、論理の飛躍はないか?
・提示されているデータや事実は裏づけがとれるか?(もっともらしいウソ[ハルシネーション]が含まれていないか)
・読み手(取引先や上司)の感情を害する表現が含まれていないか? 相手への配慮は欠けていないか?
AIは人間のように論理的に考えているわけではなく、確率的な言語モデルとして動作しているにすぎない。そのため、文章としての体裁は整っていても、意味内容において致命的な欠陥を抱えていることが往々にしてある。その微細な違和感に気づけるかどうかが深読の核心だ。
昨今、この能力の低下が危惧されている。SNSやチャットツールの普及により、私たちは短い文章や断片的な情報に脊髄反射的に反応するコミュニケーションに慣れすぎてしまった。長い文章をじっくり読み込み、文脈や背景を理解し、行間にある意図をくみとる。このような知的体力が失われつつあるのではないかという懸念だ。
もし私たちが長文を読み解く力を失ってしまえば、AIが生成した文章の価値を判断することもできない。AIという優秀なエンジンを手に入れても、ドライバーである人間の視力が落ちていれば、目的地にはたどりつけないのだ。

