診断されていないと共感が得られない

診断の拡散において、SNSの果たす役割は絶大である。XやInstagramでは、「#ADHD」「#うつ病」「#発達障害」といったハッシュタグを使った投稿が日々大量にシェアされている。これらの投稿は診断を核とした新しいコミュニティを形成し、同じ診断名を持つ人々の間での情報交換や相互支援の場となっている。

「ADHDあるある」「うつ病の日常」といった投稿には、「わかります」「同じです」「私もそうでした」というコメントが数百件つくことも珍しくない。診断名を共有することで生まれる連帯感や安心感は、孤立しがちな当事者にとって重要な支えとなっている。

20代の男性は、「ADHDのコミュニティに出会って、初めて『自分だけじゃないんだ』と思えました」と語った。診断名は、孤独を和らげる「共通言語」として機能しているのだ。

しかし、このようなSNSコミュニティには問題もある。症状や困難を「診断名で説明する」文化が強化されることで、診断に依存した自己理解が固定化される傾向にある。「ADHDだから片付けられない」「うつ病だから朝起きられない」という語りが常態化し、診断を変化や成長の制約として機能させてしまう場合がある。

さらに深刻なのは、診断名を持たない人の声が届きにくくなる構造である。診断名がないと共感を得にくく、コミュニティへの参加も困難になる。その結果、「診断名を持たないと自分の困難を語れない」という感覚が広がり、診断取得への圧力として作用することもある。

スマートフォンを使用して絵文字や通知ポップアップでソーシャルメディアを再生する男性の手
写真=iStock.com/Rneaw
※写真はイメージです

「診断名」がアイデンティティになるとき

SNS上では、診断名を自己紹介の一部として記載する人が増えている。プロフィール欄に「ADHD当事者」「うつ病サバイバー」「ASD+ADHD」といった記述を見かけることは、もはや日常的である。

診断名が「アイデンティティ」の一部となる。これは一方では、自己理解を深め、同じ困難を抱える人々とつながる手段として肯定的に機能する。しかし他方では、診断名が個人を定義する主要な属性となり、その人の多様な側面が見えなくなってしまう危険もある。

「私は発達障害者です」と自己紹介する青年に、私は尋ねたことがある。

「あなたは発達障害以外に、どんな人ですか?」

彼は戸惑った表情を見せた。

「それ以外? わかりません。発達障害が私のすべてです」

診断名がアイデンティティの中心になると、その人の趣味、関心、才能、夢といった他の側面が霞んでしまう。診断は、その人を理解するための「一つの視点」であるべきだ。しかしデジタル空間では、それが「唯一の視点」になってしまうリスクがある。