結核は現代でも最悪の場合、死に至る
結核は細菌の一種である結核菌による慢性感染症である。主に肺など呼吸器に発生するが、血流によって全身に播種する粟粒結核や脊椎に病巣を形成す脊椎カリエス、腎臓や消化管管、中枢神経にも病変が及び、現代でも放置すると死に至る。
エジプトのミイラには脊椎カリエスによる骨変形がみられるが,わが国では弥生時代以降にみられることから米作や馬とともに中国・朝鮮からもたらされたものらしい。欧州では18~19世紀の産業革命以降都市部で蔓延し、わが国でも江戸時代末期から明治期にかけて、国民病とまで言われるほど猛威をふるった。
1882年ドイツのロベルト・コッホが、結核菌を発見、1921年にはフランスのパスツール研究所で、ウシ型結核菌を弱毒化した生ワクチンであるBCGワクチンが開発され、第二次大戦後にはストレプトマイシンをはじめとする抗結核薬で不治の病ではなくなった。
半兵衛が「後継者に」と見込んだ武将
戦国時代の日本では、結核はまだそれほど多くはなかったようであるが、「隔」の病に倒れた武田信玄やその側室で勝頼の母である諏訪御寮人など、結核と考えられる疾患で世を去った人は少なくない。当時の医学書である曲直瀬道三の『医学天正記』にも、結核(当時は労咳)に有効な処方はないとされている。
自らの病と死期を悟った竹中半兵衛は、年若い黒田官兵衛に自分と同じ資質を見出し、全力で後継を託したのではあるまいか。講義録や直接の指導記録などはないが、中国の毛利攻めで一緒に仕事をしながら業務を継承していったに違いない。それもあって、官兵衛は決して自分と秀吉を裏切ることはないという確信をもって人質の松寿丸を匿ったのであろう。
企業でも大学や研究所、医療機関でも、一定の領域で「余人をもって代えがたい」技能を持った人は必ず存在する。しかしながら、人間の寿命は限られており特に激務に集中できる時間はそう長くない。組織を個人の能力と頑張りだけで維持するのはおのずと限界があるので、専門的であればあるほど、同僚や後継者にその業務を伝承することの重要性は昔も今も変わらない。もちろんマニュアル化できることはそうしたほうが良いが、マニュアル化が難しい仕事、センスが必要な仕事はこれができる後継者を選んで育てることになる。
半兵衛と官兵衛は両者とも前線で武勇を競うタイプではなく、情報収集、交渉、調略を重視し、敵を滅ぼすより味方に引き入れることを好んだという。半兵衛は官兵衛の他に神子田正治を推挙したが、残念ながら神子田はその期待に添うことができなかった。神子田正治も才長けた人物だったが、一方では功名心もあって、小牧長久手の合戦で陣頭に立って大失策し秀吉幕下から追放されたという。後継者選びの難しさであろうか。

