前の妻は病死、大阪での同棲生活

秋、一枝が亡くなってすぐに作之助はふたたび上京し、昭子に大阪に来るよう言った。昭子は迷ったが、12月6日、汽車で京都へ向かった。途中で作之助の友人の映画監督・川島雄三が合流した。このときの気持ちを昭子は「逃避行という気分のたかぶりも、駆け落ちめいた色気もなく、――ささいな内緒事――だと思いたくて、二人で並んで坐っているのが他人になんとなくはばかられるという、照れ臭さが、先だった」(『わたしの織田作之助』)と書いている。

京都で雨に濡れた作之助は風邪をひき、そのうち昭子にもうつって撮影所に行けなくなった。地震もあり、なし崩し的に大阪の旅館に泊まり、そのまま北野田の作之助の家に入った。

ここは亡妻一枝と作之助が暮らした家で、まだ納骨もしておらず、一枝の写真も飾られたままだった。作之助は遺影の前で手を合わせ、空襲警報が鳴れば防空壕にも遺骨を持って入った。その様子に昭子はショックを受けた。別の女の来訪もあり、勝手知ったるという感じで部屋のなかを歩き回る。昭子はますます心がいじけた。