自分の老いも他人の老いも素直に受け入れる

その思いは理解できます。でも、老いを受け入れようとしない高齢者による高齢者差別の構図には、やはり違和感を覚えます。歳をとるということは、いろいろな生き方が訪れることだと私は思っています。その「いろいろな生き方」には、車いすや寝たきりの生活、あるいは認知症になるということも含まれます。

ボケたくない、足腰を弱らせたくないと思い、そのためにできるだけ努力をすることは大事だと思います。でも、いざ認知症や歩行困難になったら、「なったなりに生きていく」という発想もまた必要です。その発想がもてないと、そこから先の人生は生きる価値がないという考えに行き着きます。それは、とても残念なことだと思います。

高齢者は、社会的には「弱者」ということになるでしょう。そして、人間は究極的には弱い生き物であるということを、素直に受け入れられるのが高齢者の特性だと私は思っています。自分の老いのみならず、他人の老いも受け入れられることが、「品格」と呼べるのではないかと思います。

車いすやおむつは上手に活用しないと損

老いを受け入れられず、結果的に損をしている人も少なくありません。

たとえば、車いすや杖などの使用をかたくなに拒否する人。歩く機能が衰えてきたら、車いすを使えばラクに移動できていろいろな場所に行けるのに、「車いすなんてとんでもない。自分の足で歩く」と言い張る人。結局、歩けないためにどこにも行けず、家にこもりきりになってしまう。そんなパターンはよくあります。

医師の立場から見ても、老いを受け入れることが下手だと感じるのは、尿もれ対策としておむつの使用を嫌がる人です。いまや若い女性でさえ、尿ケア用のパッドを使用している時代です。高齢者であればなおのこと、もはや、おむつは要介護状態のお年寄りの象徴などではありません。

私自身もここ最近、心不全の治療で利尿剤を服用しているため、トイレが近くなっているのですが、外出先でなかなかトイレが見つからず、心配になることもあります。

そこで、尿もれパッド付きのパンツを使用するようになりました。多少わずらわしくても、車の運転をしたり旅行したりしているときに、四六時中、必死でトイレを探しまわるストレスを思えばよほど快適です。

日本のおむつは世界一性能が優れているのですから、利用しない手はないと思います。おむつを素直に受け入れれば、夜も安心して眠ることができ、睡眠の質もよくなります。

たとえば、車いすを一度受け入れたら、加速度的に歩く機能が落ちて、まったく歩けなくなってしまうと懸念する人もいます。でも、いずれにせよ、ゆくゆくは歩けなくなるのですから、いつかは車いすを受け入れなければなりません。そして、いつかは受け入れなければならないのなら、早めに受け入れたほうが得策といえるものも多々あるのです。

車椅子の笑顔の老婦人と孫娘が公園で楽しんで話している様子
写真=iStock.com/Kunlathida Petchuen
※写真はイメージです

便利なものを素直に受け入れることで、できることを増やせます。それを拒絶するのも一つの生き方ではあると思いますが、悪あがきのようにも見えます。

「歩けなくなってきたのはしかたない。でも、車いすに乗ればまだ出かけられるから、まあいいか」
「トイレのことでやきもきしたくないし、おむつを使ってみるか」
「家族とずっとしゃべっていたいから、補聴器をつけてみよう」

そんなふうに言えるのは、すてきなことだと思います。