保守派が根拠にする皇室史の前例
一つは平安時代、第60代の醍醐天皇である。
父は第59代の宇多天皇である。宇多天皇は皇族の定省王として生まれたものの臣籍降下し源定省と称した。ただ、父の光孝天皇の死によって皇族に復帰し、天皇に即位している。本人が臣籍降下した後に天皇に即位したのは、歴代でもこの宇多天皇だけである。
醍醐天皇は父が臣籍降下している間に生まれたので、その時点では臣下の子という立場にあった。ただ、父である宇多天皇が皇族に復帰した際に、醍醐天皇自身も復帰し、それで父の死後に皇位を継承している。これも他にはないことである。1世や2世としてとらえるならば、宇多天皇は臣籍降下した1世で、醍醐天皇は2世である。
もう一つは鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての源忠房である。父は臣籍降下した源彦仁であった。忠房は出世を遂げ、第91代の後宇多天皇の猶子(名目上の養子)となって皇族の資格となる親王宣下を受け、皇族に復帰して忠房王となった。
保守派は、この源忠房(忠房王)という前例があるから、旧宮家からの養子も認められると主張してきた。ただ、忠房も醍醐天皇と同様に2世である。
男系を絶対条件にすると生じること
現在、旧宮家から養子になる男性が現れたとしたら、それは3世以降になり、その点では醍醐天皇とも源忠房とも異なっている。臣籍降下した人物の孫や曾孫が皇族の身分を得られた例は歴史上存在しない。それは伝統に反すると見ることができる。
旧宮家の人間以外にも、天皇家の血筋を引いている場合がある。源氏には清和源氏以外に村上源氏や宇多源氏があり、その末裔である家はいくらも現存する。
たとえば、元首相の細川護熙氏などは、清和源氏の流れを汲む足利氏の一門に属しており、男系で清和天皇にたどり着く。
男系を絶対の条件とし、旧宮家の人間が皇族に復帰できるのなら、細川氏のような人間が、あるいはその子や孫が皇族に復帰できても不思議ではない。
男系で皇室につらなる人間を皇族に復帰させ、なんとしても皇族数の確保をするというのであれば、そうしたことを許容する手も最終手段として考えられる。
だが、それに国民は納得するだろうか。

