鮎はやけどしそうな塩焼きが一番

鮎はそのほか(編集部註:“鮎の洗い”のほか、現在では生食は寄生虫などのリスクが高いとされる)、岐阜の雑炊ぞうすいとか、加賀の葛の葉巻とか、竹の筒に入れて焼いて食うものもあるが、どれも本格の塩焼きのできない場合の方法であって、いわば原始的な食い方であり、いずれも優れた食い方ではあるが、必ずしも一番よい方法ではない。それをわざわざ東京で真似まねてよろこんでいるものもあるが、そういう人は、鮎をトリックで食う、いわゆる芝居食いに満足する輩ではなかろうか。

やはり、鮎は、ふつうの塩焼きにして、うっかり食うと火傷やけどするような熱い奴を、ガブッとやるのが香ばしくて最上である。

来日したシドニー・カルドーゾの母親をすき焼きでもてなす魯山人
来日したシドニー・カルドーゾの母親をすき焼きでもてなす魯山人(1956年)(画像=平野雅章/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

江戸っ子が大金で買った「初がつお」

鎌倉を生きて出でけん初鰹はつがつお 芭蕉
目には青葉山ほととぎすはつ鰹 素堂そどう

カツオ
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※写真はイメージです
カツオをさばいて刺身にする様子
※写真はイメージです(写真=iStock.com/~UserGI15702993)

初がつおが出だしたと聞いては、江戸っ子など、もう矢もたてもたまらずやりくり算段……、いや借金してまで、その生きのいいところをさっとおろして、なにはさておき、まず一杯という段取りに出ないではいられなかったらしく、未だに葉桜ごろの人の頭にピンと来るものがある。ところで初がつおというもの、いったいそんなにまで騒ぎたてられるゆえんはなにか。前掲の句の作者は元禄時代の人だから、その時代に江戸っ子が初がつおを珍重したのはうかがえるが、今日これは通用しない。

「鎌倉を生きて出でけん」と想像しつつ当年の江戸で歓迎された初がつおは、海路を三崎廻りで通ったものではあるまい。陸路を威勢よく走って運ばれたものであろうが、それにしても日本橋の魚河岸うおがしに着く時分は、もはや新鮮ではあり得なかったろう。それでも江戸っ子は狂喜して、それがために質まで置いたというから大したものだ。

私の経験では、初がつおは鎌倉小坪こつぼ(漁師町)の浜に、小舟からわずかばかり揚がるそれを第一とする。その見所みどころは、今人と昔人と一致している。鎌倉小坪のかつお、これは大東京などと、いかに威張いばってみても及ぶところではない。