父の傷に触れなかった、私の後悔
そう言う私は、実は、大切な人に触れられなかった一人です。
私は17歳のとき、がんで父を亡くしています。
当時、私たち家族はアメリカで暮らしていましたが、元気だった父の身体に大きな腫瘍が見つかりました。検査の結果、治療法のない希少な悪性腫瘍と判明。
緊急帰国して大学病院で治療を始めたものの、まだ40代になったばかりだった父が病気を告げられてから旅立つまでは、わずか3カ月余りでした。
治療を断念したあと、父は、母が探してきた当時はめずらしいホスピスで過ごしていました。
その頃の父の胸には、アメリカで生検(組織を取って調べる検査)を受けた際の傷が塞がらずに残っていて、そこから腫瘍が顔を出し出血するようになっていました。先ほどのウメさんと同じ状態です。
実は当時の私は、その傷を「見たい」と思っていました。けれど、「高校生の自分が見ても何もできない」「見たいなんて、口にしてはいけない」と自分に言い聞かせて、我慢していました。なんとなく遠慮していたのです。
でも、今振り返れば、「見たい」と言ってもよかったし、触らせてもらってもよかったのです。そうすれば、傷をきっかけに、父が感じていたことを話してもらえたかもしれません。
私にとって、父は威厳があって、少し怖い人でした。だから、そうするにはきっと勇気がいったと思います。
それでも、今の私なら、あのときの自分にこう言うでしょう――「いいから、『傷を見せて』って頼んでみな。触らせてもらいな」と。
そうしていれば、父とこれまでできなかった話ができたかもしれないからです。
大切な人に関われるのは、生きている間だけ。
だからこそ、生きている間に、自分にできることをしたい。それができるようになりたい。
そんな後悔にも似た想いから、私は医学の道を歩み始めました。
ですから、まだ大切な人と一緒に過ごす時間が残されているあなたは、ぜひとも今、このときに、大切な人に触れる勇気を持ってほしいのです。



