「絶縁」を突き付けられた加害者家族

40代の息子が殺人事件を起こした母親のAさん(70代)は、責任を感じ介護中の夫をやっとの思いで車に乗せ避難した。事件発生から10日ほど経った頃、自宅に荷物を取りに帰ると、隣の家の住人がやってきて気まずそうにこう言った。

「急にいなくなっちゃったもんだから、マスコミは私たちのところに何度も訪ねて来たのよ。Aさんがやった犯罪じゃないのはわかっているんだけど、私たちも困っていて……」

Aさんはただひたすら頭を下げて詫びるしかなかった。

30代の息子が傷害致死容疑で逮捕されたBさん(60代)一家は、警察の指示もあってしばらく避難していたが、自宅を不在にしたことによりBさんの親族に取材攻勢が向けられることになった。対応を余儀なくされた親族からは「絶縁」を言い渡された。こういう時こそ頼りにしたい親族だが、彼らにだって生活があるのだ。助け合えるのは互いに安全な場所が確保されているからである。取材攻勢は、親族の繋がりまでも引き裂いていく。

重大事件の加害者家族は決まって報道陣から被害者や遺族に対してどう思うかと問われる。尊い命が亡くなった事実を突きつけられた加害者家族は、ただ申し訳ないという以外にない。

二人の足のシルエット
写真=iStock.com/MCv300
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「親の育て方が悪い」で片付けてよいのか

加害者家族への取材攻勢が長らく放置され議論もされなかった背景には、「親の育て方が悪いのだから責められて当然」という強固な思い込みがある。

確かに、子の年齢が低ければ、家庭環境が影響を与える側面はあるだろう。しかし、責任が親だけにあるのかといえばそうとは言い切れない。貧困や病気によって十分な養育が叶わなかったなど、致し方ない事情が存在することもある。犯罪の責任を問うならば、家庭よりもまず支援体制が欠如していた社会が問われるべきである。

過去には自責の念に堪え切れず、加害者家族が自ら命を絶つことで「責任」を取ろうとした悲劇が起きたこともある。家族にだけ責任を押し付け、社会の責任は免責されたまま――といったことが繰り返されている限り、社会に更生の環境も再発防止の仕組みも広まっていくことはない。