貸し借りで壊れる人間関係

私は原則的には、誰に対しても、決して金は貸しません。なぜならば、貸すことによって、人間関係が壊れるからです。

友情の証として、私は、いくら頼まれても、「貸すことはできないから、自分でなんとかしてください」と言います。そうして、もしどうしてもそれを貸すことが必要だと思ったら、私は返してもらうことは最初から思いません。

たとえば、子どもがお金を落として電車に乗れずに泣いている、そんなときであれば千円札の1枚も渡して「これで切符を買って帰りなさい」ということはあるかもしれない。けれど、それは「上げてしまう」のであって、貸すわけではないのです。

本を貸してほしいと頼まれたときも同じこと、その本が、もうとうの昔に絶版になっていて、しかも稀覯本きこうぼんだ、というような場合には、そんな大切な本を貸すのは断固として嫌だし、もし古本などでいくらでも買えるような本であれば、「自分でお買いなさい」と言います。

仮にそれが、軽便安価な文庫本などであれば、今は幸いなことにネットで探せばいくらでも見つけられる。その中で各自が探して買えばいいだけのことなのに、人に借りようというのは、そもそも了見りょうけんが間違っています。

図書館で読書はできない

図書館で勉強をしたり本を読むという話をよく聞きますが、正直な話、私自身にはそうした経験がありません。

『書物を楽しむ あえて今、紙の本を読む理由』
『書物を楽しむ あえて今、紙の本を読む理由』

単なる読書ではなくて、なにか文献調査のような目的で、何某なにがしの図書館に行って、そこにしか所蔵されていない書物を閲覧しつつ、そのデータを記録してくる、というようなことはいくらでもありますが、それは「読む」ということではなく、むしろ資料を「見る・検分する」ということにほかなりません。

しかし、暇があると図書館に行って閲覧室で読書する、などということは子供のころからありませんでした。図書館の閲覧室のようなところでは、近くに人がいるのも集中の邪魔だし、なにかと気が散ってしまって、読んでもいっこうに頭に入らない、というのが私の読書経験でした。

だから、学校の図書室でも公共の図書館でも、私は読書などしたことがありませんでした。

勉強も読書も、自宅で、あるいは自室で、一人でする。それが私の行き方で、誰かと一緒に勉強するとか、読書会に参加して本を読むとか、他人がごちゃごちゃいるような場所で読書するとか、そういうのは、ほんとうに苦手で、したことがありません。