「親との関係」を大人になっても繰り返す

子どもは、親の幸せを願う気持ちが強いことに加え、「親の幸せ・不幸せは自分の責任だ」と信じやすいものです。

そのため、親がつらそうだったり苦しそうだったりすると、「私のせいだ。私が助けなきゃいけない」と思います。そうして親子関係において救済者になります。さらにそれを大人になっても日常の人間関係で繰り返します。

そういう人は、「人の不幸は私の責任であり、私はその人を助けなければならない」と信じるのです。

救済者は、他人を助け、必要とされることによって自分の価値を確かめたいと願っています。ですから、その欲求を満たすために犠牲者が必要です。

リビングルームで話す魅力的な日本の女性
写真=iStock.com/itakayuki
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なお救済者は、最後には犠牲者になります。

救済者になる本当の理由は、自分は価値のない人間だというつらい思いや罪悪感を避けるためですが、「この人のためにしているんだ」と信じており、「あなたのため」といって、自分が本当にしたいことや自分の気持ちを犠牲にするからです。

「あなたのために」が怒りに変わる瞬間

救済者は、心の底では、「私はこんなにしてあげているのだから、あなたも自己犠牲すべきだ」と思っています。

また、犠牲者が自分の人生や幸せの責任を引き受けるよう成熟し自立しなくてもすむように助けてもいます。

私の知り合いの女子浪人生は、自分の大学受験の勉強を犠牲にして、大学生の恋人に代わって、彼のために大学の宿題のレポートを書いていました。その女子浪人生も、恋人が責任ある大人にならず彼女を必要とし続けるよう、自分のニーズを犠牲にして救済者になっていたのです。

救済者の役割をとることは、結局は自分のためにも相手のためにもなりません。

なぜなら、救済者になるために自分のニーズを犠牲にしますから、そのうち自分が犠牲者に思えてきて腹が立ちますし、犠牲者のことも未熟で依存的なままにし続けるからです。

三角ドラマの交流パターンが止まらないのは、参加者たちが、犠牲者役か救済者役になることによって加害者役を避けようとするからです。