AIの正誤判断をする能力が重要

確かに、AI翻訳がある程度コミュニケーションの言語面を補助する手段となることはあり得ます。しかし、コミュニケーションのあらゆる面をAI翻訳が完全に掌握してしまうということはないのではないでしょうか。

例えば、AIに自分の代わりに顔芸をさせるといったような真似はできません。たとえAIに顔芸ができたとしても、それはAIの顔芸であって、自分の顔芸とは言えません。

そして、一番恐ろしいのは、全くその言語の知識がなくAIに頼り切りになった場合、AIが翻訳を間違えて重大なミスコミュニケーションが起こっていても気づけないということです。ひとつの単語に複数の意味がある場合は特に危険です(同意にも拒絶にも使われる日本語の「いいですよ」とか)。方言が絡む場合などでも同じような問題が起こる危険性があります。文字通りに翻訳するだけでは読み取れない皮肉などもあるでしょう。

AIの進歩には目覚ましいものがありますが、AIが一切の留保なしに100%信頼できるようになる日はおそらく来ません。いくら技術が進歩しても、ファクトチェックのような正誤判断が必要になる場合はなくならないと思います。

インターネットが普及した結果、正確な情報と不正確な情報の両方がインターネットの海に溢れ、インターネットがなかった頃よりもかえってファクトチェックの重要性が増してしまったように。AIが進歩すればするほど、AIが言っていることの正誤判断をする能力が重要になってくるのではないかと私は考えています。

ヒトの頭部を、「AI」の文字が描かれた雲が覆っている
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インターネット上の掲示板の利用について、西村博之氏が「嘘を嘘と見抜ける人でないと難しい」と語ったことがありますが、AIについても同じことが言えます。

仮にその時点で正しいと考えられている知識だけを学習に使ってAIを作ったとしても、新しい発見などによって「正しい知識」すらアップデートされるのですから。そういう意味で、ちゃんと語学を勉強したことがあって、AIの正誤判断ができるような語学力を持っている人の重要性は、決して下がることはないでしょう。

むしろ、AIが進歩すればするほど、語学の知識を持っていることの貴重性・重要性は高まっていくのではないかとすら思えます。

習得して活用するだけが語学じゃない

人としてはここからが本題です。確かに、AI時代でも語学の価値は下がりませんし、リスキリングの題材として語学をオススメできるというのも本当のことです。しかし、私が語学の最大の魅力として推したいのは、自分磨きとしての側面です。

知識を得ることは自分を磨くことに他なりません。一般的な自分磨きといえば、スキンケアをしたり、美容室に行ったり、レーザーでニキビ跡を消したり……でしょうか。

私の認識が合っているのかはわかりませんが、とにかく語学学習論の文脈では出てきそうにない文言なのは確かです。しかし、実はこれらと語学の方向性は似ています。

結局、身だしなみを整えたり、勉強したりして何がしたいのかというと、最終的には自分を良くするためという一点に帰着するのではないかと思います。

何が良いものなのかという価値観は当然人によって違います。お金かもしれませんし、人間関係かもしれません。語学は、お金なり人間関係なりを手に入れる手段としても十分機能します。日常的に使わなかったとしても、いざというときに最低限使える語学力を持っていると、何かと有利でしょう。