六本木ヒルズの「蜘蛛」

六本木ヒルズの広場にそびえる巨大な蜘蛛のパブリックアート。高さ約10メートルのブロンズ製の彫刻の下を、観光客やオフィスワーカーなどさまざまな人々が足早に行き交います。設置されてから約20年が経過した今、この「蜘蛛」は六本木ヒルズの“守り神”のような馴染みの存在となっていますが、あらためて細部までよく観察してみると、本物の蜘蛛よりも遥かに禍々しさが強調されており、ホラー映画などにでてきそうな異形の存在でもあります。

六本木ヒルズの森タワー
写真=iStock.com/SeanPavonePhoto
※写真はイメージです

本作を制作したのは、フランス出身のアメリカ人アーティストであるルイーズ・ブルジョワ。20世紀を代表する女性現代アーティストの一人です。ちょうど2024年秋には、六本木ヒルズの森タワー53Fに位置する森美術館で日本では27年ぶりとなった大回顧展「ルイーズ・ブルジョワ展 地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」が開かれました。

彼女の作品は、自身の内面的な体験や感情が色濃く反映されており、なかでも彼女が生涯にわたって愛したモチーフのひとつが、この「蜘蛛」でした。森美術館での回顧展でも、大小さまざまな「蜘蛛」の作品が公開されています。

蜘蛛に母親像を重ねていたのかもしれない

蜘蛛は見た目も動きも不気味であり、多くの人にとっては不安や恐怖を呼び起こす存在なのかもしれません。しかし、ブルジョワが蜘蛛に投影していたイメージは、それだけではありませんでした。蜘蛛は、おどろおどろしくもありながら、糸を紡ぎ、織り、巣をつくる保護者的な存在です。また、蜘蛛が紡ぐ糸は繊細で傷つきやすく見えますが、とてもしなやかで強い素材でもあります。このため、彼女にとって「蜘蛛」は自分自身の母性の象徴でもあったのです。

また、同時に自身の母親をそこに見出していたのかもしれません。なぜなら、ブルジョワの母はタペストリーの修復職人であり、織物や糸に関わる繊細な仕事をしていたからです。彼女は生前、母親のことを「賢く、忍耐強く、守ってくれる存在」と語っていますが、蜘蛛に母親像を重ねていたのかもしれません。

ブルジョワの人生は決して平坦なものではありませんでした。幼少期、父が自宅に住み込みで働いていた英語教師と長期にわたって不倫関係を続けており、母はその事実を知りながらも、家庭を守るために黙認し、耐えていました。支配的で、ときに威圧的な態度を取る父親と、精神的に疲弊していた母親の間で、彼女は耐え難い緊張感のなか、自らの怒りや悲しみ、罪悪感といった感情を押し殺して過ごします。