衰えゆく夫にセツは不安を抱いた
体調がある程度回復してくると、ハーンはまた無茶をやらかすようになる。夏になると医師からは止められていた焼津への海水浴にも出かけてしまう。誰が何を言っても聞かない。老いても“一国者”(編集部註:がんこな人)の性分は健在だった。
ハーンは夜行列車に乗って8月10日に焼津に着いた。一雄、巌、書生の3名が同行し、セツは3男・清と1歳になる寿々子とともに東京で留守番している。ほぼ毎日“ヘルン文字”で綴った手紙をやり取りして、お互いにその日の出来事や子どもたちの様子を報告した。ハーンからの手紙には「小・カワイイ・ママ・サマ」などと、セツを愛しむ言葉も必ず添えられていた。また、セツからの返信には「パパサマノ、カラダ、ダイヂスル、クダサレ」とか、ハーンの体調を心配する言葉が多く見られる。いくつになっても仲睦まじい。
8月26日には、セツが清と寿々子を連れて焼津にやって来た。家族みんなで海辺の避暑地で夏休みを楽しんで、8月29日に帰京している。家族全員が揃っての旅行は、これが最初で最後だった。
家族旅行のわずか1カ月後に死去
9月19日午後にセツが書斎へ行くと、ハーンが胸に手を当て苦しそうにしている。胸が痛くて苦しいと言うので、急いで医者を呼んで診察してもらった。
この時は大事に至ることはなく、翌日にはもう机に座って仕事をしようとしてセツに止められた。庭や廊下を歩きまわるようになり、順調に回復に向かっていると安堵したのだが、1週間が過ぎた9月26日の夜になって容体が急変した。
夕食の時はいつもより機嫌が良く、冗談など言って笑っていたのだが、急に顔をしかめて、箸を置いて書斎に行ってしまう。セツが慌てて後を追いかけると、胸に手を当て廊下を歩きまわっている。
「ママさん、先日の病気また参りました」寂しげな表情でそう言う。すぐに布団を敷いて寝かせ、枕元でずっと手を握りつづけた。顔色は青ざめていたが、苦しそうな感じはない。表情は和らぎ安堵しているように見える。優しい眼差しを向けながら、「私、死にますとも、泣く、決していけません。私の骨、田舎の寂しい小寺に埋めてください」と言う。それが遺言だった。セツも最後の瞬間が迫っていることを察して、「みんな早く来ておくれ!」
子どもたちを呼んだ。部屋に入ってきた一雄が縋りついて父に声をかけるが、ハーンは何も反応しない。医師が駆けつけた時にはすでに息をしておらず、臨終が告げられた。その死顔は安らかで、口元には微笑みが浮かんでいたという。


