「動機」は人間しか持つことができない
――なるほど、死ぬことさえも、生きるパワーになってるんだ……。
エナ。これからの未来、AIはもっと賢くなる。シンギュラリティ(技術的特異点)を超えて、人間の知能をはるかに凌ぐ時代がもうすぐ来るのは間違いない。仕事も、判断も、創作も、AIの方が上手になるかもしれない。
――やっぱり不安だよ。私の居場所、なくなっちゃうじゃん。
なくならないさ。なぜなら、AIは「HOW(どうやるか)」は教えてくれるけど、「WHY(なぜやるか)」は決められないから。
――WHY?
「火星に行く方法」はAIが計算してくれる。でも「なぜ火星に行きたいのか?」という衝動は、人間にしか生まれない。「どんな絵を描けば売れるか」はAIが知っている。でも「この悲しみを絵にしたい」という動機は、エナの中にしかない。テクノロジーがいかに進化しようとも、最初の「問い」と、最後の「責任」を持つのは、いつだって人間なんだ。
テクノロジーをアートに戻そう
――そっか……。スタートボタンを押すのは「私」なんだね。
そうそう、最後に一つ、面白い言葉の話を教えてあげよう。「テクノロジー」(注1)って言葉、もともとどういう意味か知ってる?
――え? 「科学技術」とか「機械」じゃないの?
語源はギリシャ語の「テクネー」なんだけど、これ、じつは「芸術」とか「職人技」って意味だったんだよ。
――えっ、「アート」が語源なの? ぜんぜんイメージと違う!
そう。昔の人にとって、技術と芸術は同じ「人間がなにかを生み出す行為」だったんだ。でもいつの間にかテクノロジーは「効率」ばかりを追いかけて、冷たい機械になってしまった。
――なんか、もったいないね。もともとはアートだったのに。
だからこそ、エナがこれからの時代にやるべきことは、テクノロジーをもう一度「アート」に戻すことかもしれない。
注1 テクノロジー(Technology)
語源はギリシャ語の「テクネー(Techne:技術・芸術・技法)」と「ロゴス(Logos:論理・言葉・理性)」の組み合わせ。本来、テクノロジーとは単なる「便利な道具」ではなく、人間が世界をどう理解し、どう表現するかという「アート(芸術)」そのものを指していた。歴史を振り返れば、15世紀の活版印刷機が聖書を大衆に広めて「個人の思想」を誕生させ、20世紀のインターネットが「情報の国境」を消し去ったように、テクノロジーは常に人類のOS(基本ソフト)を書き換えてきた。1977年に打ち上げられた探査機ヴォイジャーには、地球外生命体へのメッセージとして金色のレコードが積まれている。そこには、バッハの音楽、55の言語の挨拶、そして「親子の愛情」を示す写真などが収められた。当時の最高のテクノロジーの結晶が運ぼうとしたのは、計算式ではなく、「私たちはここにいて、誰かを愛し、何かを美しいと感じていた」という、極めて非効率で人間的な記憶だった。
21世紀、AIやゲノム編集、量子コンピュータによって、テクノロジーは「マイナスをゼロにする(不便を解消する)」フェーズから、「人間とは何かを問い直す」フェーズへと突入している。本書で見てきたように、もしAIがすべての「Doing(作業)」を完璧にこなすようになったとき、人間に残されるのは「Being(どう在るか)」という意志だけになる。テクノロジーを使いこなすとは、機械のスピードに自分を合わせることではない。むしろ、テクノロジーという「翼」(あるいは最強のOS)を装備することで、浮いた時間を使って「散歩、ムダ話、失敗、寄り道」といった、AIには決して奪えない生命の輝きを全力で享受することにほかならない。

