「100歳まで生きる人」はどこが違うのか

【楳図】脳の正しい鍛え方というのはあるんでしょうか。

【養老】脳と言い換えなくても、日本では「心」と言いますね。心も脳の機能ですから。心については、いろいろな教えとか定理とかの細かな系があるでしょう?

【楳図】系っていうと?

【養老】システムですね。たとえば、どんなふうにすれば長生きできるかということについて、沢庵和尚(※)がスパッと言っています。

沢庵が「道を知る人は長生きか」と聞かれるんですね。当時で言う道とは論語とか孟子の教え、あるいは仏教などの教えを極めることです。

で、沢庵がこう答える。「そういう人が長生きできるわけないだろう」と。「そういうことを知っていると、義理を欠くまいと思えば行くべからざるところにも行き、長座、窮屈にも耐え」と。

要するにそんなことをやっていると、ストレスが溜まってしようがない。ストレスの溜まる人が長生きできるわけがないだろう。そして、長生きをしてる人を見ると、大方は人のことは構わず、我さえ良からばと思いて気のゆるゆるした人、こういう人が必ず長生きであると。さらに当時でも100歳を越える長命の人がいた。しかし沢庵はそういう人は「おおかた土民、百姓の類にて」と言っています。

木村徳応作「沢庵宗彭像」
木村徳応作「沢庵宗彭像」[写真=祥雲寺所蔵/大阪市立美術館『肖像画賛 人のすがた 人のことば』(2000)/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

エリート管理職は長生きできない

【楳図】そうですね。その点、画家なんかはけっこう長生きしてますね。自分流の人が多いから。

【養老】管理職なんかはわりあいダメですね。管理職の脳はこちこちの規則や決まりばかり詰まっていることが多いから。

いまと昔を比べると、昔のほうが社会の義理というのは大変でしょう。そういう中でああしなければいけない、こうしなければいけないということのない人というのは「土民、百姓の類」ってことになるわけです。

さて、そこで問題なのは長生きすることと生きることは、必ずしも同じではないということなんですね。長生きすることと生きるということの間に矛盾がある。それが現代の社会では強く出ているんじゃないでしょうか。良く生きるということは脳を上手に使うということであって、ただダラダラ生きていればいいってもんじゃない。

【楳図】最近は長生きするのもいろいろ難しいし、その「生きる」というのも厳しいところがあるし……。

【養老】生きるということは、考えることじゃない、やることですから。それを考えはじめたら、難しくなるに決まっている。

【楳図】そうですよね。考えるってことは、いろいろな楽しいことを見出すことであると同時に、苦しみも見出してしまいますからね。

※沢庵(1573~1645):江戸初期の禅僧。幕府を批判して流罪となったが、のち将軍家光に重用されて、江戸品川の東海寺の開山となる。茶道、詩歌、書道にも通じた。