新聞に書かれた「ヘルン氏の妾」

「ばけばけ」のトキは、家からヘブンのもとに通って女中奉公し、次第にヘブンと心を通わせるようになり、結婚に至った。だが、史実では、ハーンが住み込みの女中を求め、細かい経緯はわからないがセツがそれに応えた。それが明治24年(1891)2月上旬のことだった。

その後、6月22日に2人が、塩見縄手(「ばけばけ」では高見縄手)の旧武家屋敷(現・小泉八雲旧居)に転居したときは、すでに事実上の夫婦だったので、セツは住み込みで働きはじめて間もなく、ハーンとの関係が深まったと考えられる。

小泉八雲旧居、島根県松江市
小泉八雲旧居、島根県松江市(写真=663highland/CC-BY-SA-3.0-migrated/Wikimedia Commons

だが、最初はセツが事実上の「ラシャメン」だったことは疑いない。その証拠に、ハーンにとっては日本で一番の親友だった西田千太郎(「ばけばけ」で吉沢亮が演じる錦織友一のモデル)にして、日記にセツのことを「ヘルン(註・ハーンのこと)ノ妾」と書き、セツ夫妻が旧武家屋敷に引っ越して1カ月経っても、まだそう書き続けていたのである。

だから、新聞がセツのことを「ラシャメン」と捉えたのも当然で、すでに「夫妻」の武家屋敷への転居後である6月28日付「山陰新聞」は、ハーンの私生活を報道した記事のなかでセツのことを「ヘルン氏の妾」と明記している。

ハーンを一目見ようと黒山の人だかり

このようにセツは、事実上のラシャメンとしての道を選んだわけだが、さりとてそう呼ばれるのを嫌った。ハーンのひ孫の小泉凡氏も『セツと八雲』(朝日新書)にこう書く。「セツは八雲と暮らすようになり、『洋妾(ラシャメン)』と後ろ指をさされたそうです。それが本当につらかった、とセツは後年、明かしています。西洋人の妾になると、日本人の妾以上に偏見を持たれたそうです」。

愛妻がそのように見られることに、ハーンも心を痛めたようだ。前掲書には、夫婦が松江を離れてからのハーンの逸話として、次のような記述もある。「自分の家に寄宿させ、面倒を見ていた少年が洋妾(らしゃめん)の唄を歌ったのを聞きとがめ、実家に送り返した、という話も伝わっています」

だが、ラシャメンが偏見をもたれた背景には、いうまでもなく、当時の欧米人に対する偏見が存在した。まず、西洋人が憧れである前に、好奇の対象であったことを理解する必要がある。

セツの『思ひ出の記』には、夫妻が松江から熊本に転居後、隠岐を旅した際の以下の逸話が記されている。「西洋人は初めてというわけで、浦郷などでは見物が全く山のようで、宿屋の向かいの家のひさしに上って見物しようと致しますと、そのひさしが落ちて、幸いに怪我人がなかったが、巡査が来るなどという大騒ぎがありました」。