「よくある国境争いだった」という説も

「今川義元は近隣諸国が無事(平穏)なのを好機となし、京師けいし(都のこと)に到り将軍足利義輝に拝し、以て威名を揚げんと欲す。遮る者はうたんとするなり」(『日本戦史・桶狭間役』)

昭和63(1988)年の『武田信玄』の考証は、この『日本戦史・桶狭間役』をベースにしていたと考えられる。

一方、上洛が目的ではなかったとする「非上洛説」も、実は古くからあった。正確な時期は不明だが、おそらく江戸初期には編纂されていた徳川幕府創業記などに、義元の狙いは「尾張退治」だったと記されているという。上洛説に異を唱える歴史書は以前からあったわけだ。

近現代に入ると、まず昭和37(1962)年、高柳光壽が上洛説に疑問を呈した。続いて昭和53(1978)年、久保田昌希が「義元の目的は三尾(三河と尾張)国境付近におよぶ示威的軍事行動ではなかったか」と提起した。