“2日に1回”訪問していた英語教師の西田
この後、冬も峠を越えると体調も戻ってきた西田だが、頻繁に八雲の家を訪ねるようになっている。4月に入ってからの日記を見ると、3日に八雲宅で昼食、4日も訪問、7日も訪問、9日は浜田の中学校長と共に訪問、14日は訪問して夕食、16日も訪問、22日も訪問、29日は八雲宅で夕食。30日は尋ねたら留守だったが、自宅に帰ると八雲がやってきた……。
新婚世帯に、ほぼ2日に1回のペースで押しかけている。しかも、これ以外にも外で八雲に会ったり、よそに出かけたりしている。
特に29日は、八雲の家で夕食を食べた後に、近くの芝居小屋でやっていたサイサイ節(明治に流行した横浜発祥の流行歌、ノーエ節とも)の興行を見物に出かけている。
ここで重要なのは、西田の目にセツがどう映っていたかである。当時の感覚からすれば、外国人教師が日本人女性を「妾」として囲うという構図は、決して珍しいものではなかった。西田もそうした先入観を完全には捨て切れていなかっただろう。
だが、頻繁に八雲宅を訪れる中で、西田の見方は変わっていったはずだ。セツの献身的な姿勢、八雲への気遣い、そして二人の関係性を目の当たりにして、西田は確信したのではないか。「先生は、いい人を見つけた」と。
というのも、この後、西田は二人のためにひと肌を脱ぐことになったからである。
史実は朝ドラのように単純ではなかったはずだ
ドラマでは、ヘブンが顔合わせの席で激怒したことをきっかけに丸く収まったわけだが、実際には、こんな単純ではなかっただろう。なにせ、お互いに言葉はさほど通じるわけではない。
そうした中でセツは、実は自分が稼いで家族を支えているのだと、八雲に伝えたのだろう。普通に言葉が通じたとしてもなかなか話せないことである。それを、セツはきちんと伝えたはずだ。
対する八雲もどうだったか。
ごく一般的に考えれば、恋愛感情があっても、家族まで寄りかかってくるとなれば、そんな面倒くさい女性には幾ばくかのお金を渡して手を切りそうなものである。しかし、八雲はそうはしなかった。
おそらく二人の会話は、こんなふうだったのではないか。
片言の日本語と身振り手振りで、セツは必死に説明したはずだ。自分の収入で家族を支えていること。しかも、その家族には遊んでばかりで仕事もろくにしない弟までいること……そんな言葉にならない部分も、目で訴えただろう。申し訳なさと、それでも隠せなかった事実への後悔と、それでもあなたと一緒にいたいという思いが、セツの表情に溢れていただろう。
八雲は黙って聞いていた。そして、理解したのだ。セツが背負っているものの重さを。それでも自分のそばにいてくれることの意味を。
