セツは“弱った八雲”を献身的に支え続けた

なにしろ、2月頃、八雲はセツとの関係を深めていく一方で深刻なノイローゼになっている。2月半ばと推定される、英語教師の西田千太郎に宛てた手紙では、不眠に苦しんでいたことも記している(池野誠『小泉八雲と松江:異色の文人に関する一論考』島根出版文化協会1970年)。

ようはノイローゼに苦しんでいた時期と、結婚した時期が一致するわけだ。

これは、別に変なことではない。八雲に松江の厳しい冬と、ノイローゼに耐える活力を与えてくれたのは、間違いなくセツだった。

なにしろ、この頃の松江は文明からも遠く離れた途上国の辺境ともいえる場所である。このまま病が重くなれば「ラフカディオ・ハーン氏客死」と自分が記事になってしまうことも、あり得ただろう。

仮の夫婦とはいえ、新居で始まった二人の生活。松江の厳しい冬の中で、セツは献身的に八雲を支え続けた。病で弱った異国の男を、若い娘が昼夜を問わず看病する。言葉も文化も違う。それでも、二人の間には確かな絆が生まれていた。

この時点で、八雲にとって、セツの存在は単なる看病人ではなく、人生の伴侶だったのだ。だからこそ、あれほど急いで新居を構え、夫婦同然の生活を始めたのだ。体調不良もノイローゼも、セツがいれば乗り越えられる……八雲はそう信じていたのだろう。

“弱った八雲”を支え続けた妻・セツ
“弱った八雲”を支え続けた妻・セツ(写真=Nippon.com – Infos sur le Japon/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

“知事のお嬢様”に招かれた八雲

そして実際、その信頼は裏切られなかった。この冬の試練を二人で乗り越えたことが、その後の長い結婚生活の確固たる土台となったのである。

この2月の八雲の動向は、いまいち判然としない。西田千太郎も体調が悪化して寝込んでいたので、日記の記述も簡潔だからだ。ただ、八雲は自分も不眠とノイローゼに悩んでいるというのに、頻繁に西田を見舞っている。ここで気になるのが、2月18日の記述。ここには、こう記されている。

ヘルン氏同伴、籠手田令嬢ノ招ニヨリテ往テ古画類ヲ覧

そう、ドラマでは年末に決着のついたはずの県知事令嬢である。史実では八雲とセツが結婚したという時期にも、かなりグイグイ来ているのだ。いや、それどころか、セツと同居を始めた直後のタイミングで、八雲を自宅に招いているのである。

もしかすると、このことが八雲とセツの関係をさらに深めたのかもしれない。ライバルの存在は、恋を加速させる。セツにとって、県知事令嬢は決して無視できない存在だっただろう。

(参考:だから小泉八雲は「知事のお嬢様」を選ばなかった…朝ドラ・セツの「恋敵」が起こした前代未聞のスキャンダル)