ネット生保の安さに飛びついたお客様ばかりではなかった
僕はHBS卒業後、ライフネット生命保険というオンライン生保会社を現会長の出口とともに立ち上げ、経営に携わってきた。ライフネット生命は、本書に登場する第一生命の柴田さんや、プルデンシャルの岡さんのような営業職員がいないことがひとつの売りだった。人件費分のコストが削減できて、それだけ保険を安く売ることができるからだ。その部分で消費者に選んでもらえるという自信はあった。しかし、必ずしも消費者がネット生保に飛びついたかというとそうではなかった。このこと一つとっても、本当にものを売ることは難しいと思う。法人相手の世界ではまだ理屈が通じる。大幅にコストダウンできる商品やサービスを選ばないということはまず考えにくい。しかし個人は理屈では動かない。消費者の心はロジカルではなく、うつろいやすいのだ。
たとえば昼食に中華か和食かという選択肢があったとする。何を基準に選ぶだろうか? 人が並んでいるほうが美味しいだろうからそちらに入るとか、待つのがいやだから別の店を選ぶとか、もっと言えばそのときの気分といった偶然に左右される。美容院に年11回行くか12回行くか、意識して考えている人などいないだろう。ところが売る側からすれば、いくつかある選択肢のなかから選ばれること、1度でも多く来てもらうことは死活問題である。
では、理屈が通らない、偶然と無意識に支配される消費者心理を相手にして打つ手はないのかといえばそうではない。消費者には共通する要素がある。つながりたいという欲求だ。もっと言えば、自分の話を聞いてもらいたいとか、自分の問題を理解してもらいたいという欲求である。だからこそ気心が知れていて、自分のニーズをいちいちこまかく説明しなくてもわかってくれて、最後に背中を押してくれる人から買いたいと思うのだ。本書でもあらゆる商材を売る場面で、消費者のつながりたい欲求が出てくる。
僕らのやっているネット生保は、セグメンテーションとして、対面のきめこまやかな営業よりも、時間をかけずに自分で決めて選べることを重視する人たちから評価されているのだと思う。そうはいっても何かを買っていただくには、やはりお客様とのふれあい、かかわりあいというのは欠かせないものである。出口や僕が講演やお客様との集いに出かけていくのも、より多くの人に僕たちの会社、商品に対して共感してもらうためだ。
マスマーケティングの時代は企業が多額のお金をCMに投下して、イメージでものを売ることができた。売る側に圧倒的に有利な情報格差が存在したからだ。しかしその格差は、資本主義が成熟し、テクノロジーが進化する過程で縮小してきている。消費者とつながるためには、どんな人が、なぜ、どういう思いでこの商品をつくったのかというストーリーが大事になってくる。生鮮野菜に生産者情報がついてくるように、保険商品開発者の思いを伝える場があってもいい。