道元の代表的著書である『正法眼蔵』(岩波文庫など)の第1巻は「現成公案(げんじょうこうあん)」と題されている。現成とは「いま目の前に現れ、成っている存在」という意味だ。道元によれば、その現前する存在のすべてが悟りの実相だという(ひろさちや『すらすら読める正法眼蔵』講談社)。

「現成公案」には次のような話が出てくる。薪たきぎは燃えて灰になるが、だからといって灰は後(のち)、薪は先と見てはいけない。前後があるとはいえ、その前後は断ち切れており、あるのは現在ばかりだ。人の生死も同じで、生が死になるのではない。生も死も一時のあり方にすぎないのだ、と。こうした道元の教えを踏まえれば、病気になっても、早く治ってほしいと願ううちはまだ迷いがあるということになる。そうではなく、病気を現成としてそのまま受け取り、しっかり生きればよいと考えられるようになるのが悟りなのだ。

ここにはジョブズの死生観に通じるところがある。彼は2005年、スタンフォード大学の卒業式でのスピーチで、前年に膵臓がんの手術を受けた経験を語った。このときの「死は生命にとって唯一にして最高の発明」「あなた方の時間は限られている。誰かほかの人の人生を生きて無駄にしてはいけない」といった言葉からは、自分の生を、そして死をそのまま受け取ろうという姿勢がうかがえる。

黒いタートルは僧侶の作務衣だった

ここまでジョブズの仕事や生き方における禅の影響を見てきた。だが、彼の禅への接し方はいわゆる信仰とはちょっと違うように思う。伝記『スティーブ・ジョブズI』によれば、「一般的な教義より精神的体験を重視すべきだ」というのが彼の宗教観であったという。彼はまた「キリストのように生きるとかキリストのように世界を見るとかではなく、信仰心ばかりを重視するようになると大事なことが失われてしまう」とも語っている。