みずほ総合研究所の岡田豊氏(94年、慶應義塾大学経済学部卒)は大学卒業までに新聞配達員やコンビニの店員など、多くのアルバイトを経験。好景気でも生活の苦しい人が少なくないことを知る。景気は悪化すると察知し、就職活動を早めに始めた。
「就職に強いとされた“慶應の経済”でも有利に運ぶことはなかった。当時はクチコミが重要で、ゼミに入っていない学生などは、情報がなかなか得られないようだった」
岡田氏は、シンクタンクなどをメーンにしながらも、多くの企業にエントリーした。スタートは早く、3年の秋から。
最終的に、富士銀行系シンクタンクに入り、その後、みずほ総研に社名が変わる。当時としては珍しく、会社単位の採用ではなく、部ごとの採用だった。就社ではなく、就職を意識してきただけに希望通りの仕事に就くことができたという。
サイボウズ代表の青野慶久氏(94年、大阪大学工学部情報システム工学科卒)は自身を「バブル経済崩壊の直後組」と位置付けるが、松下電工から早いうちに内定を受ける。
「研究室の教授の推薦をもらえると、その企業に進むことができるが、推薦状がないと厳しくなる時代だった。同じ研究室の学生は、名が通った大企業に進むケースが多かった」
当初、自分で就職先を探そうと思い、ソフト開発の会社などの見学をしたが、入社の意欲は湧いてこなかった。松下電工を選んだのは、福利厚生が充実し、経営が安定している印象があったからだという。しかし、入社後はその社風に疑問を感じるようになる。
独立しようと思ったのは、役員らに商品企画のプレゼンテーションをしたときのこと。反応が鈍く、もどかしさを感じた。市場や世の中の動きを敏感に察知できていない、と思えた。
現在は、自らが経営する会社で面接試験に参加するが、「へりくだる必要はない。よく見せようとする学生がいるが、こちらが知りたいのは素の部分」とアドバイスを送る。