藤原一族の押しかけ養子となった秀吉が新しい名字をつくる
羽柴秀吉はその後、藤原秀吉と名前を変えて、関白になります。平安時代の摂関政治と同じ、あの関白です。1585年のことでした。どうして名前を変えたかというと、関白は、藤原道長の系統の五摂家からしか出せません。けれど、秀吉は関白になろうと考えました。そこで五摂家の近衛家に養子として入るのです。押しかけ養子です。
このとき、秀吉には子どもがいなかったので、これは一代限りだろうと、五摂家の人たちは考えていました。甘いですね。
翌1586年、秀吉は天皇から豊臣という姓をもらって、太政大臣になります。藤原氏でなければ、摂政や関白になれない、将軍になれるのは源氏だけと、みんなが思っていたところに、新しく「豊臣氏」をつくってしまう横紙破りです。太政大臣になった秀吉は、甥の豊臣秀次に関白を譲って、世襲を始めます。
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