【TP】ビジネスというより、日本と中国の個人と個人をコンシェルジュ的につなげていけたらなあと考えています。

【田原】どういうことですか?

【TP】中国で飛行機に乗ると、私が中国語を話せるので、隣に座ったおじさんからよく質問されるんです。いま日本で流行っていることや、自分の知っている日本の芸能人はいま何をやっているのかなど、ありきたりな質問ですが、日本人と中国人はお互い知らないことが多いので、普通のこともどんどん話せばいい。そうやって個人のレベルで交流ができるようになればいいかなと。

【田原】日中の橋渡し役になるということ?

【TP】私だけじゃなくて、みんなが橋渡し役になればいいと思います。

【田原】これから上海を中心に展開しようと思っているのですか。

【TP】5年ぐらいは上海で一生懸命やろうと思っています。でも、私はお墓のことを大事に思うタイプ。将来、どこに骨を埋めるのかは悩んでいます。

【田原】そういうところは、けっこうクラシックですね。僕はあと数年で死ぬと思うけど、どこに埋めてほしいとか考えたことがない。

【TP】でも、日本に帰るとやっぱり癒やされるんですよぉ。

【田原】はは。僕は上海はおもしろいと思う。東京にはときどき帰ってくればいい。東京に戻ってきたときに話を聞かせてください。応援しています。

田原総一朗が見たTOKYO PANDAの素顔

TOKYO PANDAさんは多彩な人だ。ファッションブロガーとして自分を撮って情報を発信し、いまでは服の販売まで手がけている。映画にたとえるなら自分で企画、脚本、監督、主演までやるようなものだ。さらに彼女は旅行を企画してツアーコンダクターをやるなど、ファッション以外の分野にも活動を広げている。自分に枠をはめずに、やりたいことに取り組んでいる姿は、若者らしくてさわやかだ。

今後も活動の幅を広げていくと思うが、僕としては医療分野への展開を期待している。彼女は中国で東洋医学を学んだし、医療へのニーズは高まっている。TOKYO PANDAブランドで東洋医学をやれば、きっとおもしろいものが生まれるのではないかと睨んでいる。

TOKYO PANDA
1984年、沖縄生まれの東京育ち。90年頃、キッズモデルなどで活動。2003年オーストラリアに語学留学。06年中国・瀋陽で生活を始める。09年12月ブログを開設、TOKYO PANDAの活動を開始。12年6月医学部修士課程を修了。13年3月活動の拠点を上海に移す。最新著は『TOKYO PANDAの旅する中国語』(中経出版)。
田原総一朗
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所、テレビ東京を経てフリーに。活字と放送の両メディアで評論活動を続けている。『塀の上を走れ』『人を惹きつける新しいリーダーの条件』など著書多数。
(村上 敬=構成 宇佐美雅浩=撮影)
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