元妻側の逆襲

しかし、判決から1~2年経ったころ、強制執行という手続きが取られ、突然、裁判所から執行官という人が雇われて元妻に同行し、夫と子らの住む家に、子どもらを強制的に連れ去るために不意打ちでやってきました。

もう子どもも大きくなって野球チームに入ったりしていて地域のコミュニティに溶け込んでいました。私はその場にいなかったのですが、後から聞くといざ強制執行になったとき、近所のおじちゃんやおばちゃんがみんな出てきて執行官に「帰れ、帰れ」と声を合わせてシュプレヒコールを浴びせたそうです。当の子どもたちも「ここにいたい」と言って泣いて嫌がったそうです。

ここで注意しなくてはいけないのは、子どもというものは本能的に育ててもらっている側に良い顔をする傾向があるということです。「父といたい」と言ってもそれが本心かどうか分からず、感謝の気持ちから父の気持ちを忖度して言っている可能性があることを理解しないと本質を見失うことがあります。このあたりは繊細に判断しなくてはいけません。

都合3時間ほどのやり取りの結果、日もとっぷりと暮れ、執行官もこと子どもの引き渡しとなると繊細なので、元妻に「もう今日は無理でしょう。これ以上やったら子どもの心を傷つけるので帰りましょう」と説得しました。元妻は泣き喚きながら帰っていったそうです。

法廷に響いた兄弟の慟哭

でも、これで終わったわけではありません。その後、元妻は「人身保護請求」という特殊な裁判を起こしました。人身保護請求とは、本来は、矯正施設に誤って入れられた人を救うような特別な手続きなのに、最近は子の引き渡しの裁判に流用されているのです。簡単に言うと、親権者の母親に子どもを引き渡すことを要求する裁判です。

私はAさん側の弁護士として呼ばれ、Aさん、元妻、当時中学1年生(12歳)と小学3年生(9歳)の2人の子どもたちで争われました。子どもたちには裁判所が選んだ子ども専用の第三者の弁護士がつきました。

法廷で、裁判官は元夫婦を和解させようとあの手この手の案を出しました。しかし、双方とも頑として譲りません。

裁判官は、なかなか和解ができないので、面倒くさそうに、「じゃあ判決を出します」と言い、法廷の中央に子どもたち2人を立たせました。

そして、裁判官が読み上げた判決はというと、「兄は自分の意思どおり父の元で暮らしなさい。弟はまだ小さいので母と暮らすこと」と言いました。2人を分けることで元夫婦のバランスを取ろうとしたんだと思います。

その判決を聞いた途端、兄弟は、法廷の中央で、ひっしと抱き合って、大声で泣きました。「お兄ちゃんと離れたくない」「弟と離れたくない」と大声で求めました。その様子を見て私も嗚咽しました。

家で抱き合って窓の外を眺める二人の兄弟
写真=iStock.com/RealPeopleGroup
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すると裁判官は、顔の筋肉を1ミリも動かさずに、「ほら、早く離れて。それぞれお父さんとお母さんのとこに行って」と言いました。