「世界はどんどん悪くなっている」という認識

加えて、終末論は福音派に米国社会の変化を解釈するすべを与えた。ディスペンセーション主義によると、終末の直前に、世界は以前よりもはるかに悪い状況になるという。マタイによる福音書24章5?12節を見ると、終わりのときには、メシアの名を不当に語る者、戦争の騒ぎや戦争のうわさ、飢饉ききんや地震、不法がはびこり、キリスト教徒はすべての人々から憎まれるという。

最初の6つの封印の開放(黙示録6)、木版画、1860年
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具体性のない預言なので、どのようにでも解釈できるのがその強さだが、一部の福音派は同様の箇所を参照しつつ、アメリカ社会の変化を終わりの時の前兆と解釈してきた。

60年代以降、アメリカ社会、とりわけ保守的なキリスト教徒が多く居住していた南部や南西部は大きく変化した。公立学校での祈りや、聖書の朗読は禁止となり、フェミニズムや同性愛への社会的認知の機運が高まった。なにより、人種隔離は禁止され、自分たちの支配下にあったはずの黒人たちが公民権や投票権を獲得していく。自分たちの生活様式を守るために設立したキリスト教系私立学校には連邦政府のメスが入る。福音派にとって、世俗主義の跋扈ばっこは耐え難いものだった。

キリストの王国をアメリカに打ち立てよ

福音派には一連の変化が、終わりの前兆にみえたのだろう。『レフト・ビハインド』シリーズの共著者ラヘイは、「人間中心主義による患難の時」(Humanistic Tribulations)をキャッチコピーに、迫り来る終わりの前の最後の戦いに参加するよう福音派を鼓舞した。

また、終末論とキリスト教ナショナリズムを組み合わせて次のように語った、福音派の牧師であり活動家でもあったジェリー・ファルウェルの言葉からもそれは明らかだろう。

今から教会が携挙されるその時まで、アメリカには猶予が与えられている。神はこの国を祝福することができ、携挙の前までは、私たちは自由な国であり続けることができると信じている。(Susan Friend Harding, "The Book of Jerry Falwell", 2000)。

山に籠り祈るのではなく、政治にコミットすることで、福音派はキリストの王国をアメリカに打ち立てようとしてきたのだ。神学的にみれば元の終末論とは矛盾があるかもしれないが、これが福音派のダイナミズムの根拠であることには違いない。