「まずは結論」と「曖昧な言葉」

先日、英語の本の執筆と同時に講演のお声掛けをいただいた。久々に真正面から語学についてお話をさせていただくため、英語と日本語の根本的な違いを考えてみることにした。

よく「英語が上達するには?」と聞かれたとき、「まずは結論の言葉だと理解することではないでしょうか」とお伝えすることがある。“まずは結論”というのは、英語は日本語と違って話の組み立てに型があり、「主語+動詞~」で「何がどうした」から始まるからだ。言語面だけでなく、文章の組み立てでもまずは結論を書く流れになる。

一方の日本語は主語をぼかすこともできるし、結論も最後まで言わないことも多い。そのため、たとえば「昨日はみんなが集まるミーティングがあった」「けど、行かなかった」と最後に思っていた結論をひっくり返されるなど、なんとも曖昧な感触を味わうことがあるわけだ。

そんな言語の違いを考えながらテレビで政治家の討論会を聞いていた。これがまた言語の特徴そのままに(あるいは政治家の特徴そのままに、か)、何を言いたいのか発言の最後までわからない。

ある政治家が原発の再稼働についての意見を述べるけれど、「私は原発の再稼働についてはさまざまな意見がある中で、今の日本の電力事情を考えても、あるいは利権も絡んでくることなどふまえて……」と永遠に、イエスかノーかわからず、最後の最後に「今はすべきではない」と、結局として反対でも賛成でもない「先延ばし」を論じていた。

言語構造も違えばカルチャーも違うのだからよし悪しの問題ではないが、少なくとも英語の構造のほうがダイレクトに物事が伝えられるだろう。この“最初に結論”の伝え方の特徴を感じてみることは、心得としては有意義なはずである。日本人の中にもこの伝え方を自然と身につけている人たちも見られるが、彼らの話はたいていわかりやすい。その伝え方の秘訣をひも解くにあたり、まずは「何が+どうした」の構造を見直してみよう。